モンゴル族(読み)モンゴルぞく(その他表記)Mongol
Měng gǔ zú

改訂新版 世界大百科事典 「モンゴル族」の意味・わかりやすい解説

モンゴル族 (モンゴルぞく)
Mongol
Měng gǔ zú

アルタイ系の民族の一つ。言語学的にモンゴル系の諸言語(モンゴル諸語)を話すか,かつて話していた人々の子孫を指す。その主要な居住地は,モンゴル全域,中華人民共和国の内モンゴル(蒙古)自治区,新疆ウイグル(維吾爾)自治区,ロシア連邦ブリヤート共和国カルムイク共和国である。このほか中国の吉林省,黒竜江省,甘粛省,青海省の一部,さらにはアフガニスタンにも居住している。人口は全体として少なく,中国に581万(2000統計),モンゴルに215万6000(1992,ただしカザフ族を含む),ブリヤート共和国に25万(1989),カルムイク共和国に14万6000(1989)を数えるにすぎない。

 モンゴル人の一般的身体的特徴は,髪は黒くて硬く,直毛,眼は褐色頰骨は高い。皮膚は黄褐色で,いわゆる黄色人種に属する。モンゴル諸語には多くの方言が存在する。(1)内モンゴル方言(ホルチン,ハラチン・トゥメット,バーリン,チャハルオルドス,エチナ・アラシャンの各地方語),(2)オイラート方言,(3)バルグ・ブリヤート方言(バルグ,ブリヤート各地方語),(4)外モンゴル=ハルハ方言,(5)ブリヤート方言,(6)カルムイク方言(ボルガ・カルムイク),(7)独立語(ダフール,ドンシャン,モングオル)。これらのうちハルハ方言は内モンゴル,外モンゴルの共通語の役割を果たしている。なお現在の政治情勢のもとで,中国,ロシア連邦などに居住するモンゴル族の中には,もっぱら中国語もしくはロシア語を用い,モンゴル語を用いない者も増えている。

 モンゴル族の歴史の中で古代史については十分明らかではない。古く北アジアに活躍した匈奴,鮮卑,柔然(じゆうぜん)をモンゴル族とする説もあるが,彼らがみずからの文字を持たなかったため,資料が少なく定説にはなっていない。モンゴルの名は,唐の歴史を記した《旧唐書(くとうじよ)》《新唐書》に見える蒙兀(もうごつ)というのが初出であるとされる。しかしモンゴル族としてはっきりしているのは契丹(きつたん)である。契丹はすでに4世紀にモンゴリア東部,興安嶺東麓で活躍していたことが中国の歴史書に見える。契丹は6世紀後半に突厥(とつくつ)の支配をうけたもののだいたい独立を保ち,10世紀初めに契丹帝国を,また中国の華北に進出して遼を建国した。遼の滅亡後,モンゴリアには,モンゴル系の部族としてタタールケレイト,フンギラト,メルキト,ウリヤンハイ,オイラート,モンゴル等の名が見られる。このうちタタール(韃靼)の勢力が強かったことから,中国ではモンゴリアのことを韃靼(だつたん)と呼ぶようになった。12世紀後半,モンゴル部にチンギス・ハーンが出て,モンゴル系諸部族を統一,さらにモンゴリア全体を統一し,モンゴリアにおけるモンゴル部の支配が確立するにおよんで,これら諸部族はモンゴルと総称されるようになった。

 モンゴル族は遊牧的牧畜をおもな業とした。中国の文献は遊牧民族について〈水草を逐(お)い,畜に従いて遷(うつ)る〉と記述している。彼らは定住地を持たなかったが,無秩序に移動していたわけではない。一定の夏営地(モンゴル語でjusalang)と冬営地(モンゴル語でebüljing)を持っており,春→夏→秋→冬をだいたい定まったルートで移動していた。移動の距離は草の状態によって定まるが,普通は20~30km程度なのに対し,草の悪い所では100km以上になることもある。

 モンゴル族の宗教は,かつては,一部キリスト教信者もいたが大体はシャマニズムであった。13世紀前半,チベットからラマ教(チベット仏教)が流入し,モンゴル支配層の支持をうけた。なかでもサキヤ派の法王はパスパ(八思巴)以来,元朝の皇帝の帝師となり手厚い保護をうけた。しかしラマ教の信仰は支配層にとどまり,一般のモンゴル人たちは依然シャマニズムを信仰した。元朝の滅亡とともにモンゴリアのラマ教は衰退したといわれる。その後16世紀後半,チベットから新たなラマ教の流入があり,モンゴルの支配層はその施主となって再びラマ教を信仰するようになった。17世紀に清朝がモンゴルを支配すると,支配政策上,ラマ教を保護したことから一般のモンゴル人たちにまで浸透した。彼らは熱烈なラマ教徒となり,清朝中期以降,成年男子でラマ僧になったものはかなりの比率を占める。ラマ僧たちは寺院で経典の学習を行うなどして,モンゴルの知識層を形成した。またラマ教は内モンゴル,外モンゴルだけでなく,ジュンガリア,ブリヤート,ボルガ・カルムイクのモンゴル人たちにも信仰された。しかしモンゴルに社会主義の波が及ぶにつれてラマ教はしだいに衰退したが,1980年代末以降の体制変革に伴って活力を取り戻している。
モンゴル音楽
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のモンゴル族の言及

【鍛冶屋】より

…この支配氏族であった阿史那氏の祖先はアルタイ山脈の南麓にいたとき,柔然に隷属する鍛冶集団であったといわれる。また,モンゴル族も伝説上の原住地であるエルゲネ,クンという峡谷にいたとき鍛冶をしていたといわれ,モンゴル帝国ができた前後の時期には第2の故郷であるブルカン山麓にウリヤンハUryangkhaという鍛冶集団のいたことが確かめられる。以上のように鍛冶の技術は本来的に特定の部族の手にゆだねられていたが,いつとはっきりとは断定できないけれども,一般の人々のあいだにも伝えられていき,もっとも基本的な伝統手工業の一つに数えられるようになった。…

【住居】より

…トゥルファン(吐魯番)は夏季の猛暑のため,地下室や半地下室のある住宅を用いており,地上の住居は日乾煉瓦造のボールト天井で陸屋根形式になる。
[モンゴル族の包]
 内モンゴルのモンゴル族は遊牧生活を営んでおり,住居には解体移設が簡便なテントを用いている。漢語で(パオ),モンゴル語でゲルという。…

※「モンゴル族」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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