スウェーデンの考古学者。ストックホルムに生まれ,ウプサラ大学で歴史学を学ぶ。1871年国立歴史博物館員に,1907年には同館長も兼ねる国家文化財官となり,13年引退。その最大の業績は,遺物の新古の関係を決定する型式学的研究法と,遺跡・遺物の絶対年代を考古学的に決定する方法とを確立した点にある。これらの研究法を駆使して,オリエントから北欧に至る広範な地域の先史時代の編年体系を完成したが,その成果は,北欧にとどまらず,全ヨーロッパの考古学研究の基準となり,それによって,19世紀末から20世紀初頭のヨーロッパにおける最も著名で傑出した考古学者となった。その研究法は,大構想の下に着手されたものの,没年までにわずか2巻のみの刊行に終わった《オリエントとヨーロッパにおける古代文化期》の第1巻《研究法》(1903)にまとめられている。日本へは浜田耕作によって《考古学研究法》(1932)として翻訳紹介され,日本考古学にも多大の影響を与えた。
執筆者:田中 琢
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スウェーデンの考古学者。ウプサラ大学卒業。1863年、ストックホルムの国立歴史博物館に入り、80年同館教授になる。1907~13年の間、国家古物管理官として同国の古文化財の保存、研究に多くの功績を残した。北欧の青銅器時代を専門とし、進化論に基づくところの遺物の精密な型式学的考察によって、青銅器時代を四期に区分する編年を確立した。また、ギリシア、イタリアの前古典文化の編年的研究を行った。これらの型式学的諸研究方法は、「モンテリウス考古学」として、考古学研究に科学的基礎を与え、世界の考古学界に大きな影響を及ぼした。また、日本においても浜田耕作訳による『考古学研究法』(1932、1984復刻)が発表されるなど日本考古学研究の基礎ともなった。
[南 博史]
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…一方,生物学的進化論に啓発された考古学者は,人為物の〈型式〉が生物の〈種〉の進化に似た変遷をたどることに気づき,形の比較によって型式変遷の順序を推定しようとする型式学的方法を案出した。この方法は1870年代から20世紀初頭までの間にモンテリウスらによって精緻な域にまで高められる(図1)。以上略述した古典考古学,オリエントの研究,先史考古学はそれぞれ別個に始まり,互いに無関係に発展してきたが,1870年から90年代にかけてシュリーマンが行ったトロイアの発掘を契機として,ギリシア・ローマの古典時代もその前段階として先史時代をもつこと,オリエントとヨーロッパの間に物品の交流があったことが明らかになるにつれ,当初分散的に始まった諸研究分野を統合して,地域や時代にかかわらない〈(一般)考古学〉の概念が成立した(図2)。…
… 一般に青銅に限らず,初期の金属器は鋳つぶされて,もとの姿をとどめないが,たまたま人里離れたところでいく種類もの青銅器が一括して発見されることがある。この事実を検討したスウェーデンのG.O.A.モンテリウスは,一括発見物から遺物を整理する方法を確立し,北ヨーロッパの青銅器を分類していった。彼によって新石器時代に石や木でできた器物が,漸次青銅でつくられるようになった過程が解明された。…
※「モンテリウス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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