メキシコ北部,ヌエボ・レオン州の州都。大都市域人口354万2979(2003)。メキシコ市に次ぐ近代的工業都市で,人口は同国3位。1596年,ディエゴ・デ・モンテマヨールにより植民建設され,当時の副王にちなんで命名された。1848年には米墨戦争の主要な舞台となった。19世紀後半,アメリカとの通商が活発になるにつれ,ラレド,タンピコ,マタモロスとの間にそれぞれ鉄道が敷設されたが,今日の繁栄の基礎を築いたのは1890-1910年に始まった鉄鋼業の勃興であり,それはコアウイラ州の炭田に近接する地の利を生かしたものであった。1950年以降のメキシコの重化学工業化の進展とともに急速に発展し,鉄鋼,ガラス,陶器,化学,繊維などの主要な企業が立地する。鉄鉱石はドゥランゴ州のセロ・メルカード,石炭はサビナス,石油はタンピコ,天然ガスはレイノサから移入。主要工業部門はメキシコを代表する大資本によって占められている。総合大学および工科大学がある。生活様式は同国の中でもアメリカの影響を最も強くうけている。
執筆者:栗原 尚子
アメリカ合衆国カリフォルニア州中西部の都市。人口3万2000(1990)。モンテレー湾南端部に位置する。17世紀初めにスペイン人が到来し,ヌエバ・エスパニャ(メキシコ)の総督モンテレー伯爵にちなんで命名した。1770年キリスト教の布教所と砦が建設されて集落が恒久化し,1846年米墨戦争でアメリカ軍に占領されるまでのスペインおよびメキシコ時代を通じて,カリフォルニア北部(アルタ・カリフォルニア)の主都として栄えた。アメリカ領となって衰退したが,20世紀に入ってイワシ漁業が大発展し,スタインベックの小説の舞台にもなったキャナリー・ローには缶詰業者が軒をつらね,世界的なイワシ加工の中心地として栄えた。第2次大戦後,漁業は衰退したが,軍事拠点として,また古い日乾煉瓦の建築,波止場,美しい海岸に恵まれた観光地として,南西に隣接するカーメルとともに重要性を増している。
執筆者:矢ヶ崎 典隆
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メキシコ北東部、ヌエボ・レオン州の州都。東シエラ・マドレ山脈の東麓(とうろく)、標高538メートルに位置する。人口111万0909(2000)。「北部の女王」とよばれる工業都市である。アメリカやコアウイラ州の炭田に近いことから発展し、製鉄、ガラス、化学、製薬、製粉の諸工業のほか、電気機器製造業が発達している。工業大学、工業研究所もある。国際空港もある交通の要地で、メキシコ市へは飛行機で2時間半、高速バスで13時間を要する。1579年に町が建設され、1796年に建設された教会や、1846年につくられた要塞(ようさい)が残っている。1782年に建設された司教の家は、博物館として市の発展を物語る。近郊には、1843年に発見された中央アメリカ最大のガルシア鍾乳洞(しょうにゅうどう)をはじめ、「馬の尾滝」、ワステカ渓谷があり、観光地となっている。また周辺は灌漑(かんがい)農業地域で柑橘(かんきつ)類の生産が多い。
[高木秀樹]
アメリカ合衆国、カリフォルニア州中部、モンテレー湾に臨む都市。人口2万9674(2000)。美しい海岸線や緑など、自然景観に恵まれ、南西に隣接するカーメルとともに行楽・保養地として広く知られており、芸術家が多く集まる所としても有名である。全盛期のおもかげはないが、現在もイワシ漁を中心とした漁業が行われ、缶詰工業がある。1846年に合衆国領となるまで、1775年から北部カリフォルニアの主都として君臨した輝かしい歴史をもち、モンテレー要塞(ようさい)(1770建設)、州最初の劇場(1844)、州最古のれんが造の建物(1847)など古い建造物も多く保存され、当時をしのぶことができる。1770年にフランシスコ派布教地として町が開かれ、1850年市制が施行された。
[作野和世]
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