日本大百科全書(ニッポニカ) 「ライプツィヒ大学」の意味・わかりやすい解説
ライプツィヒ大学
らいぷつぃひだいがく
Universität Leipzig
ドイツのライプツィヒにある中世以来の伝統ある大学。1409年、ボヘミア国王よりプラハ大学におけるチェコ人の優位を認める勅令が出されたプラハ大学事件を契機に、そこを去ったドイツ人教授や学生のため、チューリンゲン伯フリードリヒらによって創設され、教皇アレクサンデル5世により認可された。16世紀にはドイツでもっとも学生の多い大学となった。18世紀中ごろにはドイツにおける啓蒙(けいもう)主義の中心となり、当時の在籍者名簿にはG・E・レッシング、ゲーテ、J・G・フィヒテ、J・パウルらの名がみられる。19世紀後半以降、資本主義社会の急速な発展とともに、大学の学術研究も飛躍的に発展し、世界的な名声を確立するに至った。
第二次世界大戦中はかなりの被害を受けたが、戦後復旧し東ドイツの大学となり、1953年カール・マルクス大学ライプツィヒと改称された。その後、1968年の大学改革で学部制が廃止され、部門制Sektion(20部門)に再編成された。東西ドイツ統一後は学部制に復すとともに、1991年名称も旧称ライプツィヒ大学となった。1998年現在、14学部(法学、神学、歴史・文学・東洋学、言語学、教育学、社会科学・哲学、経済学、体育学、医学、数学・コンピュータ科学、生化学・薬学・心理学、物理学・地球科学、化学・鉱物学、獣医学)となっている。学生数約1万9000人。
[馬越 徹]