改訂新版 世界大百科事典 「体育学」の意味・わかりやすい解説
体育学 (たいいくがく)
体育学は,広く身体にかかわる教育の理論であるという考え方と,スポーツや体操やダンスなどの身体運動による教育であるという考え方がある。一般には後者の立場をとり,身体運動による教育上の諸問題を研究の対象にする学問領域であるとしている。この場合,教育学の一領域とすれば体育教育学とよばれるが,また,体育社会学や体育生理学などの専門科学領域の総体とすれば狭義の体育科学を指し,さらに,体育哲学,体育教育学,狭義の体育科学を包括するものとすれば広義の体育科学である。最近では体育学をスポーツ教育学と同義語とみなして,これをスポーツ科学の一領域として位置づける傾向が国際的に有力である。
行動力と道徳心に富む市民や国民を形成するために,身体運動による教育の諸問題を研究し,新しい学問としての体育学を確立することが必要であると主張し始めたのは,18世紀フランスの医学者ベルディエやドイツの教育学者P.ビョームらであった。この時代的要請にこたえて19世紀になるとドイツのJ.C.F.グーツ・ムーツやF.L.ヤーン,スウェーデンのP.H.リングやフランスのF.アモロスらが,教育学と医学の知識に基づいて学校やクラブや軍隊の体育を理論化し,教育学のなかに一つの新しい学問として体育学を位置づけようとした。
19世紀末から20世紀初めにかけて,国民の健康や体力の強化をめざして体操が必修授業として学校に導入され,社会では運動クラブが普及するにともなって体育指導者養成機関が設立され,体育に関する研究の基礎が整備されるようになった。第1次大戦後には大学の体育学講座や体育研究所が設立され,教育学や医学や歴史学に基づく研究成果がみられるようになった。こうしてアメリカ大陸では〈新体育new physical education〉,ヨーロッパ大陸では〈自然体育natürliches Turnen〉,体育の〈自然的方法méthode naturelle〉などという名で体育理論が体系化され,全人形成としての体育が確立され,体育学は教育学の一部門となった。第2次大戦後,科学としての体育学の確立をめざして,身体文化や運動学,体育学や体育科学などの用語をめぐって国際的な問題提起がなされ,他方では競技スポーツの科学的研究が促進された。1970年代に入ると社会の変化と大衆スポーツ現象のもとで,人々の関心は体育からスポーツへと移行し始めた。そして体育学はスポーツ教育学へと発展し,学校や社会のスポーツの教育的諸問題を教育科学的・スポーツ科学的研究方法によって研究し,スポーツ教育の実践に役だつ理論を形成することを課題とすることとなった。
日本の体育学は,体操伝習所の設立(1878)を経て体育教員養成学校や課程の設立とともに,主に学校体育の指導理論の確立をめざして始められた。1920年代からは小笠原道生らによって科学的体育学が,篠原助市らによって教育哲学的体育学の確立が探究されたが,全体的には医学と教育学と歴史学による学校体育学の形成が主課題であった。この傾向は49年の体育必修化による全大学への体育教官配置,日本体力医学会(1949)や日本体育学会(1950)の研究活動によって修正され,研究対象を社会体育に広げ,研究方法も社会学やバイオメカニクスを援用するなど多様化したが,東京オリンピック大会などを契機とするスポーツの普及とスポーツ科学の台頭によって,しだいに転換を生じることになった。スポーツ科学や体育科学,体育学やスポーツ教育学の概念を整理することが目下の急務であろう。
→スポーツ科学
執筆者:成田 十次郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報