コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

ライモンディ ライモンディRaimondi, Giuseppe

5件 の用語解説(ライモンディの意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ライモンディ
ライモンディ
Raimondi, Giuseppe

[生]1898. ボローニャ
[没]?
イタリアの文芸評論家。カルダレッリバッケッリらと雑誌『ラッコルタ』 Raccoltaを創刊 (1918) ,のち彼らとともに『ロンダ』に加わってレオパルディ研究を行い,文学における形式と伝統の問題に強い関心を示した。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

ライモンディ
ライモンディ
Raimondi, Marcantonio

[生]1480頃.ボローニャ
[没]1534頃.ボローニャ
イタリアの銅版画家。初め F.ライボリーニに師事して黒金象眼細工と銅版画を修業。イタリアに旅行していたデューラーの作品に感動し,69枚の版画をコピーし,また『マリアの生涯』と『小受難』の木版画を銅版画に写した。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について | 情報

世界大百科事典 第2版の解説

ライモンディ【Antonio Raimondi】

1826‐90
イタリアの博物学者。ミラノに生まれ,医学を修める。1850年ペルーに渡り,69年までの19年間ペルー各地を歩き,地質,植物,気象,鉱物などを調査し,その記録を《ペルー》3巻(1874‐80)として発表。そのほか鉱物や鉱山についての調査,地方誌などの著書もある。チャビン文化の,のちに〈ライモンディ石碑〉と呼ばれる石彫も発見している。その後もペルーで調査と著作をつづけ,ペルー北部のパカズマヨで没した。【大貫 良夫】

ライモンディ【Marcantonio Raimondi】

1480‐1534
イタリアの銅版画家。ボローニャ近郊に生まれる。画家・金細工師のF.フランチアのもとで修業した後,1508年ころベネチアに赴き,とくにデューラーの木版画の模刻をするが剽窃(ひようせつ)罪で訴えられる。10年ころローマに移住し,ラファエロの工房で師のデッサンに基づく多量の複製版画を制作し普及に努めた。師の死後,同胞G.ロマーノと共作するが,作品の猥褻(わいせつ)性のため投獄される。27年ローマ略奪により,活動に支障を来たし,帰郷後失意と貧困のうちに死亡した。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
世界大百科事典 第2版について | 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ライモンディ
らいもんでぃ
Ruggero Raimondi
(1941― )

イタリアのバス・バリトン歌手。ボローニャ生まれ。ローマなどで声楽を学び、1964年スポレートの声楽コンクールに入賞、その地でデビュー。ベネチアを中心に舞台を重ねたが、声に比べ演技の未熟を自覚、演出家ファッジオーニPiero Faggioni(1936― )の指導を受ける。その後イタリアの主要歌劇場に登場、70年にはニューヨークメトロポリタン歌劇場に初出演。また、モーツァルトの『ドン・ジョバンニ』は彼の最大の当り役となり、多くの演出家により舞台で歌ったほか、79年にはジョゼフ・ロージー監督が彼の主演でオペラ映画化している。明るく柔らかいなかに芯(しん)のある、朗々と歌うような声質をもち、幅の広い役柄に対応している。71年(昭和46)NHK招聘(しょうへい)のイタリア歌劇団の公演で初来日。[美山良夫]
「ロージー監督、マゼール指揮、パリ・オペラ座管弦楽団演奏『モーツァルト:歌劇「ドン・ジョヴァンニ」全2幕』DVD(1998・ドリームライフ) ▽ガルデッリ指揮、ニュー・フィルハーモニア管弦楽団演奏『ヴェルディ:歌劇「群盗」全曲』CD2枚組(2001・ユニバーサルミュージック) ▽レヴァイン指揮、メトロポリタン歌劇場管弦楽団演奏『ヴェルディ:歌劇「エルナーニ」全曲』DVD(2001・パイオニアLDC)」

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
日本大百科全書(ニッポニカ)について | 情報 凡例

ライモンディの関連キーワード社会小説火成角礫岩LO写生文タイム東亜同文会博文館憲政党女義太夫片町線

今日のキーワード

百条委員会

地方自治体が議決により設置する特別委員会の一つ。名称は「地方自治法第100条」に基づく。百条委員会は、地方公共団体の事務に関する調査を行い、関係者への聞き取りや記録の提出を請求、拒否した者には罰則が科...

続きを読む

コトバンク for iPhone

ライモンディの関連情報