ラオス人民革命党(読み)ラオスじんみんかくめいとう(その他表記)Lao People's Revolutionary Party

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ラオス人民革命党」の意味・わかりやすい解説

ラオス人民革命党
ラオスじんみんかくめいとう
Lao People's Revolutionary Party

略称 LPRPラオス政党。 1934 (あるいは 1936) 年,インドシナ共産党ラオス委員会が設立され,反日,反仏ラオス解放闘争を指導した。しかし 51年2月のインドシナ共産党大会でインドシナ各国がそれぞれ革命政党をもつことが決められ,55年3月,同委員会はラオス人民党として再発足し,72年ラオス人民革命党と改称された。同党は創設以来,ベトナム共産党の強い影響下にあり,ベトナムと一体となっての解放闘争を進めた。 75年4月のカンボジア,南ベトナム解放という有利な条件のなかで民族民主革命を急速に展開し,同年 12月,王制を廃止しラオス人民民主共和国を成立させた。同党はまったくの地下政党としてラオス愛国戦線前面に立て,その存在を一切秘密にしてきたが,革命の進展に伴い,75年 10月になって党を公開した。 86年 11月の第4回大会では「新思考」 (チンタナカーン・マイ) に基づき経済開放路線をとり,市場経済化を推し進めるなど新制度の導入が決定された。しかし,91年8月の議会で制定された新憲法では,マルクス=レーニン主義路線をとる指導的役割と,社会主義路線の堅持がうたわれている。 91年3月,新設の党議長についたカイソン・ポムビハン書記長は同年9月から大統領兼任していたが,翌 92年 11月に病死後任にはカムタイ・シパンドン議長が首相に,ヌハク・プームサバンが大統領に就任。 96年3月の党大会でヌハク大統領は解任され党中央委員会顧問に退いた。 97年 12月の総選挙では 99議席のうち 98議席を確保した。

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知恵蔵 「ラオス人民革命党」の解説

ラオス人民革命党

ベトナムやカンボジアと同様、フランスの植民地(仏領インドシナ)だったラオスは、第2次世界大戦後も大国介入分裂内乱を経験した。統一実現はベトナムと軌を一にする1975年(ラオス人民民主主義共和国成立)。実質的にはラオス人民革命党による一党独裁。55年、インドシナ共産党ラオス委員会によりラオス人民党が結成され、72年の第2回党大会で現在名に改められた。内戦時代はパテト・ラオ(Pathet Lao、前身はラオス愛国戦線)と名乗った。最高指導者カイソンの死去(92年)で、党議長職はカムタイ(大統領職を兼任)に引き継がれたが、2006年3月の第8回党大会でカムタイが引退、後任にチュンマリ副大統領が選任された。同時に役職名も党書記長(大統領を兼ねる)に変更された。首相はブアソン。

(片山裕 神戸大学教授 / 2008年)

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世界大百科事典(旧版)内のラオス人民革命党の言及

【ラオス】より

…人々の動揺は隠しきれなかった。この新体制を推進したのはラオス人民革命党であり,同党はインドシナ共産党のラオス委員会から作られた。新国旗には上下両端が赤(人民)地,中央が青(国土)地で,白い丸(清潔)が中心にある,愛国戦線が以前から愛用していた旗を採用した。…

※「ラオス人民革命党」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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