ラジーシチェフ(読み)らじーしちぇふ(その他表記)Александр Николаевич Радищев/Aleksandr Nikolaevich Radishchev

デジタル大辞泉 「ラジーシチェフ」の意味・読み・例文・類語

ラジーシチェフ(Aleksandr Nikolaevich Radishchev)

[1749~1802]ロシア思想家詩人小説家。「ペテルブルグからモスクワへの旅」を自費出版して農奴惨状を描き、専制政治貴族制度などを批判したためシベリア流刑された。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「ラジーシチェフ」の意味・読み・例文・類語

ラジーシチェフ

  1. ( Aljeksandr Nikolajevič Radiščjev アレクサンドル=ニコラエビチ━ ) ロシアの思想家。一七九〇年「ペテルブルクからモスクワへの旅」を著わし、社会的不正義、農奴制、貴族制度、検閲制度などを批判するとともに、エカテリーナ二世の啓蒙を期したが、このためシベリアに流刑された。デカブリスト十二月党員)への影響が大きいといわれる。(一七四九‐一八〇二

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ラジーシチェフ」の意味・わかりやすい解説

ラジーシチェフ
らじーしちぇふ
Александр Николаевич Радищев/Aleksandr Nikolaevich Radishchev
(1749―1802)

ロシアの思想家、詩人。モスクワの富裕な貴族の家庭の生まれ。ペテルブルグの幼年学校卒業後、ドイツのライプツィヒ大学に留学、自然科学、文学、医学などを修める。この時期にボルテールディドロなどフランスの啓蒙(けいもう)主義思想家の影響を受けた。帰国してからまず元老院、ついでフィンランド師団司令部に勤務、おりから起こったプガチョフの暴動に深い関心を寄せた。1775年にはいったん官職を退くが、1777年ふたたび商務省に入ってペテルブルグ税関に勤め、1790年には税関長になった。1780年代の中ごろからロシア社会思想史上不朽の古典『ペテルブルグからモスクワへの旅』の執筆にかかり、1790年春にこれを匿名で出版した。これは一旅行者の手記の形で、帝政下農民たちの悲惨な状態と専制政治の醜悪さ、たとえば1週間に6日間も地主の畑の賦役に駆り出される農民、地主父子のあまりの虐待と暴行に耐えかねて、その一家を殴り殺してしまった村人などの話を生き生きと描き出したもので、これを読んで驚愕(きょうがく)したエカチェリーナ2世は、ただちにこれを発禁にするとともに、著者を逮捕し、女帝立会いのもとに審理を行わせた。判決は死刑と出たが、エカチェリーナ2世は死一等を減じて10年のシベリア流刑を命じた。イルクーツクに近いイリムスクへの流刑中、哲学的な著作『人間、その死と不死について』を執筆し、観念論と唯物論的な思想を織り交ぜた独特の死生観を展開した。エカチェリーナの死後、アレクサンドルの治世になって首都に戻ることを許されたラジーシチェフは、皇帝(ツァーリ)の命で立法委員会に加わったが、まもなく自殺を遂げた。文学作品には頌詩(しょうし)『自由』(1783)、ライプツィヒ時代の友人を主人公とする自伝的な作品『F・V・ウシャコフ伝』(1787)、赦免後のものとして長詩『ボバー王子』(1798~1799)などがある。

[中村喜和]

『渋谷一郎訳『ペテルブルグからモスクワへの旅』(1958・東洋経済新報社)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「ラジーシチェフ」の意味・わかりやすい解説

ラジーシチェフ
Aleksandr Nikolaevich Radishchev
生没年:1749-1802

ロシアの社会思想家。ロシア解放思想の父とよばれる。貴族の出身。1766-71年ドイツのライプチヒ大学で主として法学を学び,留学中,ボルテール,ディドロなどの啓蒙思想の影響を強く受けた。帰国後,元老院などに勤務,90年にはペテルブルグの税関長となった。プガチョフの乱(1773-75)によって農民の窮状をつぶさに知り,しだいに体制の変革を目指すようになった。頌詩(しようし)《自由》(1783)はロシア最初の革命詩である。90年農奴制を激しく批判した《ペテルブルグよりモスクワへの旅》を自宅の印刷所で印刷,出版したが,ただちに発禁となり,彼も逮捕され,死刑を宣告された。のちに減刑され,10年間のシベリア流刑に処せられた。1801年ペテルブルグに戻ると,皇帝アレクサンドル1世の設置した立法委員会に参加,精力的に働いたが,やがてリベラルな改革を目指す彼は孤立し,02年服毒自殺した。主著《ペテルブルグよりモスクワへの旅》は,一旅行者の手記の形で,農奴制下の農民の悲惨な生活を描き,改革の必要を訴えたもので,ロシアの啓蒙思想を代表する著作である。自伝的小説に《F.V.ウシャコーフの生涯》(1788)がある。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ラジーシチェフ」の意味・わかりやすい解説

ラジーシチェフ
Radishchev, Aleksandr Nikolaevich

[生]1749.8.31. モスクワ
[没]1802.9.24. マロヤロスラベツ近郊
ロシアの思想家,小説家。政府の命令でライプチヒ大学に留学し,フランスの啓蒙思想をはじめヨーロッパの自由思想を身につけた。帰国後官吏としての体験をもとに『ペテルブルグからモスクワへの旅』を自費出版し,ロシアの後進性をあばき,専制政治と農奴制を批判,革命的変革を訴えた。そのためエカテリーナ2世によりシベリア流刑に処され,1801年アレクサンドル1世に許され政府に戻ったが,翌年 54歳で自殺。それまで執筆活動を続けた。彼の文学と革命思想は,デカブリストや A.ゲルツェンなどに大きな影響を与えた。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

百科事典マイペディア 「ラジーシチェフ」の意味・わかりやすい解説

ラジーシチェフ

ロシアの作家,社会思想家。貴族の出身でライプチヒ大学卒業後,旅行記《ペテルブルグよりモスクワへの旅》(1790年)で農奴制の悲惨な実情を訴え,革命の必要を示唆して流刑に処せられる。後に復権するも,信条を曲げなかったため,結局自殺に追いこまれる。ロシア啓蒙思想を代表するとともに,革命思想の先駆者となった。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

今日のキーワード

仕事納

〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...

仕事納の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android