ラテーヌ文化(読み)ラテーヌぶんか

精選版 日本国語大辞典 「ラテーヌ文化」の意味・読み・例文・類語

ラテーヌ‐ぶんか ‥ブンクヮ【ラテーヌ文化】

〘名〙 (ラテーヌはLa Tène) ヨーロッパ鉄器時代後半期の文化スイスのラテーヌ遺跡を標式とするところからいう。ケルトの騎馬民族文化と考えられ、武器武具・農工具など、金・銀・青銅・鉄の金工術にすぐれている。

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改訂新版 世界大百科事典 「ラテーヌ文化」の意味・わかりやすい解説

ラ・テーヌ文化 (ラテーヌぶんか)

ヨーロッパの鉄器時代文化。前5世紀,先行するハルシュタット文化系譜を継いで,現在のフランス東部からライン川中流域,ドイツ南部に至る地域で始まり,その後広くヨーロッパ中部,西部地域に広がって,前1世紀まで存続した。1857年,鉄製の武器や装身具など多量の遺物が発見された,スイスのヌシャテル湖北岸のラ・テーヌLa Tène遺跡によって命名された。ギリシアローマの古典時代作家の記録や,カエサルの《ガリア戦記》に登場するケルト人の残した文化とされている。

 この文化に特有の遺跡としては,初期に多い首長墓と,後期に属するオッピドゥムオピドゥムoppidumがある。首長墓は,木室をもつ墳丘墓で,なかに4輪または2輪の車両を納め,ギリシアやエトルリア製の陶器や金属容器など,豊富な副葬品を伴っている。一般にみられる墓室や墳丘を欠き直接土中に埋葬した墓とは隔絶したものとなっており,この文化を生んだケルト人社会が,早くから明確に階層分化していたものであったことをうかがわせる。オッピドゥムはもともと周囲を土塁と濠とで防御した場所を指すが,後期ラ・テーヌ文化の特徴とされるオッピドゥムの遺跡は,たとえばドイツのバイエルン州にあって約38haの面積を占める最大級のオッピドゥムであるマンチンManching遺跡では,城門と城壁を備え,なかに神殿があり,街路と大小の木造住居が配され,鍛冶鋳造,ガラス製造などの各種手工業工房に加えて,貨幣製造所があったことなどが発掘によって明らかにされている。オッピドゥムは単なる避難所的な城塞ではなく,その地域の政治・経済の核となる城塞都市とでも呼びうるものであって,その存在からケルト社会の成熟度の高さをうかがえる。

 ラ・テーヌ文化の特徴とされるものの一つに,手工業製品を飾る特有の様式の図像文様がある。その多くは,たとえば貨幣がマケドニアやギリシアの貨幣の模倣から始まったように,もともと地中海の古典古代文明の図像文様に起源し,それを換骨奪胎,特有の図像文様様式に転化させたものであった。それは前3世紀末から前2世紀ころ最盛期を迎えるが,以後,社会的・経済的成熟の象徴ともいえるオッピドゥムが盛行することになると,イギリス諸島を除いて衰退していったのは興味深い。

 ラ・テーヌ文化は,前1世紀,北進するローマの勢力と西進するゲルマンの勢力に押されて消滅する。わずかにアイルランドとグレート・ブリテン島高地地帯に,その系譜に連なる文化がその後も残存する。
ケルト人
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世界大百科事典(旧版)内のラテーヌ文化の言及

【ケルト美術】より

…ケルト美術は,ヨーロッパの第二鉄器時代に当たるラ・テーヌ期(前5~後1世紀)の美術を指し(ラ・テーヌ文化),地域によっては(アイルランド,グレート・ブリテン島など),その伝統がさらに8世紀あまり続いた。従来はケルト美術を中部ヨーロッパの第一鉄器文化(いわゆるハルシュタット文化,前12世紀~前6世紀)にまでさかのぼらせていたが,近年はハルシュタット美術とラ・テーヌ美術はごく限定された影響関係(技法,動物主題,陶器などについて)をもつにすぎないとされるようになった。…

※「ラテーヌ文化」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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