ラフォレット(その他表記)Robert Marion La Follette

改訂新版 世界大百科事典 「ラフォレット」の意味・わかりやすい解説

ラ・フォレット
Robert Marion La Follette
生没年:1855-1925

20世紀初めのアメリカのいわゆる〈プログレッシビズムの時代〉を代表する革新主義政治家。中西部ウィスコンシン州出身。ウィスコンシン大学卒業後,法律を学び一時弁護士となるが,政界入りし,共和党からまず連邦下院議員(1885-91)に,ついで1900年にはウィスコンシン州知事に当選する。05年までの知事在任期間を通じて,公務員制度を改革し,鉄道統制,所得税制,そして選挙候補者を政党員の選挙で決定する直接予選制などを導入して州政治の合理化近代化を図った。このため,ウィスコンシン州は〈民主主義の実験室〉,彼の改革案は〈ウィスコンシン案〉と呼ばれて,他州手本とされた。06年,連邦上院議員に選出され,以後連続3期18年を務めたが,その間,ペイン=オルドリッチ関税法(1909)に対する反対,ラ・フォレット船員法(1915)の制定など,共和党リベラル改革派のリーダーとして活躍した。ウィルソン大統領の時代には,その外交政策の手ごわい反対者となった。まず,武装商船法案を阻止し,対独宣戦布告に反対票を投じ,また第1次大戦後は,国際連盟と国際裁判所へのアメリカの参加に反対を表明した。24年,農民労働者の第三政党,革新党の大統領候補に指名されたが,約500万票近くを獲得する善戦の末敗れた。選挙後数ヵ月で死亡。革新党もその後まもなく消滅した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ラフォレット」の意味・わかりやすい解説

ラ・フォレット
La Follette, Robert Marion

[生]1855.6.14. ウィスコンシン,デーン
[没]1925.6.18. ワシントンD.C.
アメリカの政治家。 1885~91年連邦下院議員。この間,歳入委員としてマッキンレー関税法案の成立に尽力。次第に革新的傾向を強め,1900~06年ウィスコンシン州知事在任中,革新主義運動の高まりを背景に各種の改革を実施。ウィスコンシン州は州改革のモデル,民主主義の実験室といわれた。 06年連邦上院議員となり,高関税に反対し,各種の進歩的改革を擁護する一派の指導者となった。 11年以後革新党の結成に参画したが,12年健康を害して指導権を T.ルーズベルトに譲り,その後は T.W.ウィルソンの支持にまわった。彼はウィルソンの社会政策は支持したが,第1次世界大戦への参戦に反対,また国際連盟にも反対した。その後共和党とその擁護する大資本の独占体制が強固になった 20年代にあって,体制に挑戦した唯一の政治勢力,革新的政治行動会議 CPPAから大統領候補として出馬したが,敗れた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ラフォレット」の意味・わかりやすい解説

ラフォレット
らふぉれっと
Robert Marion La Follette
(1855―1925)

アメリカの政治家。ウィスコンシン州に生まれる。同州共和党政界に加わり、連邦下院議員(1885~91)、同州知事(1901~06)を務めた。とくに知事時代、直接予備選、税制改革、鉄道規制の強化など彼が実施した一連の州政治改革は、「ウィスコンシン計画」とよばれ、この期の政治改革のモデルとなった。その後、1907年から25年まで連邦上院議員を務め、中央政界でも卓越した議会進歩派の指導者として活躍。17年アメリカの参戦に断固として反対し、24年には革新的政治行動委員会から大統領選挙に出馬し、敗れはしたが、鉄道の国有化、労働組合の団結権・団体交渉権の公認などを主張した。

[紀平英作]

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百科事典マイペディア 「ラフォレット」の意味・わかりやすい解説

ラ・フォレット

米国の政治家。共和党下院議員を経てウィスコンシン州知事となり,州政の合理化と近代化を推進して他州の革新主義運動の高まりを刺激した。1905年以後上院議員。孤立主義者で第1次大戦参戦,国際連盟加盟に反対。1924年革新党を組織して大統領選挙に出馬するが敗れる。
→関連項目ウィスコンシン[州]

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ラフォレット」の解説

ラフォレット
Robert Marion LaFollette

1855~1925

アメリカの政治家。ウィスコンシン州知事期(1901~06年)の州政改革で革新主義者としての名声を得,ついで改革派の連邦上院議員(在任1906~25)として活躍。だがウィルソン国際主義には批判的で,国際連盟加盟に反対した。1924年大統領選挙に革新党から出馬するが敗北。

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世界大百科事典(旧版)内のラフォレットの言及

【ウィスコンシン[州]】より

…ウィスコンシンは社会改良的・革新的政治によって知られ,ニューディールの先駆たる〈ウィスコンシン理念〉発祥の地である。この点で,ロバート・ラ・フォレットとその一族の果たした役割は大きい。1901年から47年にいたるまで,ラ・フォレット家の者が常に州知事や合衆国上院議員の職についていた。…

【革新党】より

…ローズベルトは元大統領の名声をもとに,現職大統領で共和党保守のタフトと互角に争ったが,同じ革新主義を標榜する民主党のウィルソンに敗れた。第2は1924年,共和党革新派のロバート・ラ・フォレットを中心に,独占企業の抑制や公共事業の国有化を主張。AFLや社会党の支援で票を伸ばしたが,第1次大戦後の経済繁栄と保守化の波に押され,共和党のクーリッジに敗れた。…

【共和党】より

…外交面においても,米西戦争,門戸開放政策,ドル外交など世界強国としてのアメリカの利益を促進する積極政策を展開した。しかし,共和党自体の中にも,ウィスコンシン州のラ・フォレットに代表されるような農民層を地盤とする革新勢力が存在していたことも留意されなければならない。 1932年の選挙以降,共和党は半ば万年少数党化し,大統領選挙ではアイゼンハワー,ニクソン,レーガンなどを当選させたが,下院の議席では2期4年を除きつねに少数党であった。…

【プログレッシビズム】より

…トリードのジョーンズSamuel Jones,クリーブランドのジョンソンTom L.Johnson,サンフランシスコのフィーランJames Phelan,ニューヨークのローSeth Lowのような有能な市長が各地に輩出して,企業と密着した腐敗市政の浄化,ボス政治家の追放,諸制度の改善で成果をあげた。州政治でも,ウィスコンシンのR.M.ラ・フォレット,アイオワのカミンズAlbert B.Cummins,カリフォルニアのジョンソンHiram W.Johnsonらが革新知事として特筆されるが,なかでもラ・フォレットは,所得税制,鉄道統制,公務員制度改革,直接予備選挙制を導入し,ウィスコンシン州は〈民主主義の実験室〉,彼の改革案は〈ウィスコンシン案〉と呼ばれて他州の手本になった。 連邦政治における革新主義の最初の担い手はセオドア・ローズベルト大統領(在職1901‐09)である。…

※「ラフォレット」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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