改訂新版 世界大百科事典 「ラマヌジャン」の意味・わかりやすい解説
ラマヌジャン
Srinivasa Aiyengar Ramanujan
生没年:1887-1920
インドの数学者。マドラス州の貧しい家に育ったが,幼少のころから神童ぶりを発揮し,7歳のとき高等学校に入学した。1912年ころから数学の論文を発表するようになり,友人の勧めに従って,ケンブリッジ大学のハーディーG.H.Hardy(1877-1947)教授にあてて,自分で見つけた100余の定理を含めた手紙を書いたところ,ハーディーは彼の才能を高く評価し,14年にトリニティ・カレッジの奨学生として迎えられた。17年に病を得たが,翌年イギリスのローヤル・ソサエティ会員に選ばれ,またトリニティ・カレッジのフェローにも選出された。療養のため,19年にマドラスへ帰ったが健康は回復せず,32歳の若さで世を去った。
数学的業績には独自の方法と鋭い直観により導いた結果または予想が多くあるが,組合せ論の手法によるもの,楕円関数やモジュラー関数に関するものなどが多い。とくに有名なのは自然数nの分割数(nを自然数の和として表す方法が何通りあるかという数)に関するもので,ハーディーとの共著論文数編の形で発表された。なお,ラマヌジャンが病気で入院していたときハーディーが見舞いにいって,乗ってきたタクシーの番号が1729であったといったら,ラマヌジャンが即座に,その数は二つの自然数の3乗の和の形に二通りに書ける最小の数(1729=13+123=93+103)であると答えたという逸話がある。
執筆者:永田 雅宜
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報