ラント法(読み)ラントほう(英語表記)Landrecht

改訂新版 世界大百科事典 「ラント法」の意味・わかりやすい解説

ラント法 (ラントほう)
Landrecht

ドイツ法史の用語。11世紀後半から13世紀にかけて,ドイツでは大小さまざまの領邦ラント)が形成されていったが,その領域に一般的に妥当する法およびその法記録がラント法である。このころになると,主観的権利(レヒト)と客観的規範(レヒト)の両義をあわせもつ法(レヒトRecht)観念が出現するとともに,教会法と世俗法の区別をはじめとするさまざまの法領域の分化が進行し,その過程を通じてラント法も一個の独自の法領域としてみずからを確立してゆく。13世紀前半の法書ザクセンシュピーゲルが示すように,ラント法は特定領域内の全自由人(国王から農民までを含む)の生命と財産と生活に関する法であり,それを守るための裁判(これもラントレヒトとよばれる)と裁判手続についての規定である。個々の法素材は多様な由来をもち,その地方の伝統的法慣行のほか,フランク時代の部族法や皇帝勅令にさかのぼるもの,中世中期の神の平和ラント平和令に発するものも認められる。しかし,それらがいまや融合して一つの地域的法秩序と観念されているところにこの法の特色が存在するのであり,しかもそれは,非自由農民の荘園法ミニステリアーレ家人法などの特別法と異なり,地域全体を覆う普通法の性格をもつ。ただラント法の一般性は,特別法領域としての都市法によって破られることはいうまでもないが,レーン法との関係は対立的というより相補的である。

 個々のラント法が12世紀に事実上存在したことは証書史料の文言から明らかであるが,法記録として最も古いのは,1233年ドイツ騎士修道会総長の公布したクルム法であり,有名なオーストリアのそれは,ルドルフ1世のもとでラントの政治的統合が再確認されたとき(1278-80)に成立した。中世末期から近世にかけての諸ラント法の〈制定〉は,しばしば領邦君主側のイニシアティブのもとで行われたが,それにもかかわらず,どのラント法もつねに,ラントを構成する諸身分の伝統的諸権利の法的表現という性格を基本的に失うことはなかった。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ラント法」の意味・わかりやすい解説

ラント法
ラントほう
Landrecht

ラント内に適用される地方法。中世ドイツにおいて,ラントの地域行政の進出に伴って,属人主義をとる部族法から分化した法で,全国共通に通用した直接法たる帝国法に対し,地方特別法を形成した。また,ラント法は都市法やレーン法,家士法などの特別法に対しては,ラント内における普通法の関係にあった。このような諸法圏の分裂がドイツ法の統一を妨げる大きな原因となった。『ザクセン・シュピーゲル』などの中世の法書や各ラント法典 (→プロシア一般ラント法 ) などがラント法の典型である。 (→領邦法 )  

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