ラント平和令 (ラントへいわれい)
Landfriede
中世社会には,およそ人間社会に普遍的な殺人,強盗,放火などの個別暴力行為のほか,権利主張の正当な手段としての戦闘行為(フェーデ)が行われていた。この事態に対し初期中世の王権は,ただ個々の係争に介入してその司法的解決を勧奨するにとどまったが,10世紀末フランスに始まる神の平和運動の理念を継承して,王権も12世紀初頭以来,折々の機会をとらえて,1年ないし4年の期間,暴力行為を一般的に禁止ないし制限する法令を公布し,しばしば戦闘行為能力あるもの全員に〈平和〉を宣誓せしめた。これがラント平和令である。それはもろもろの暴力行為を平和攪乱の〈犯罪〉なりと規定し,違反者は死刑を含む流血身体刑をもって処罰されるべきものとした。その最初の事例は1103年神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世によりマインツで公布された帝国平和令であり,その後,1235年の有名なマインツの帝国平和令にいたるまでの時期は,主として王権のイニシアティブのもと帝国全体を対象領域として公布されるものが多かった。その後,中世後期においては,個々の領邦(ラント)を妥当範囲とするラント平和令が主流となる。そして,こうした長期の法発展の到達点をなしたのが1495年,ウォルムスの帝国議会で制定された永久ラント平和令der Ewige Landfriedeであり,ここにフェーデは,建前上,無条件,恒久的に禁止されることとなった。この治安立法が刑法発達史,国家権力形成史のうえで果たした役割はきわめて大きい。
執筆者:山田 欣吾
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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ラント平和令(ラントへいわれい)
Landfriede
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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ラント平和令
ラントへいわれい
Landfriedensgesetz
中世ヨーロッパ,特にドイツでの領域内の平和 (治安) 維持のための協定ないし法律。領域に応じて地方ラント平和令と帝国ラント平和令とがあるが,重要なのは後者である。帝国ラント平和令は神の平和,神の休戦の制度にならい制定されたもので,フェーデ (私闘) の制限ないし禁止規定,裁判による和解の強制,違反者に対する刑事的制裁規定を含み,中世社会の刑事法制および国制の発達に大きな影響を与えた。主要なものに最初の帝国ラント平和令であるハインリヒ4世の平和令 (1103) ,フリードリヒ2世の2つの大平和令 (1235) ,特に最後の平和令であるマクシミリアン1世の永久平和令 (1495) はフェーデを全面的かつ永久的に禁止したものとして知られる。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内のラント平和令の言及
【ドイツ】より
…こうしてドイツは11~12世紀から大空位時代を経て宗教改革を迎えるときにいたってもなお,神聖ローマ帝国という擬制的帝国の名の下で実質的には割拠する諸侯の支配([ランデスヘルシャフト])の下におかれ,これらの諸侯も領域([ラント])内において中世末までは都市を完全に掌握するだけの力をもっていなかったのである。しかしながら,これらの領域支配圏のみが実質的には中世後期から近世にかけてドイツ国家の実体をなしており,このことは領域内の私闘([フェーデ])を禁止し,平和の確保を目的とする[ラント平和令]がラントの範囲内でまず出されていたことにも示されている。ラント平和令が,まず〈[神の平和]〉として教会が発起者となって始められたものであることもこの時代の領域支配の性質を物語っている。…
※「ラント平和令」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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