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ランフォード Rumford, Count

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ランフォード
Rumford, Count

[生]1753.3.26. マサチューセッツウォバーン
[没]1814.8.21. フランス,オテーユ
アメリカ出身のイギリスの物理学者政治家,軍人。本名 Sir Benjamin Thompson。ハーバード大学に学ぶ。アメリカ独立戦争の際イギリスのスパイとして働く。 1776年ロンドンに渡り植民局に勤める。この間物体の凝集に関する研究が認められ,ロイヤル・ソサエティ会員 (1779) 。その後ドイツ,バイエルン王室に仕え (1784) ,伯爵を授かる。ミュンヘン滞在中,大砲の砲身削孔の際の多量の発熱に基づいて,熱は物質ではなく,運動の一形態であることを説き,熱運動説とエネルギー概念確立に重大な貢献をなした (1798) 。その後イギリスに戻り,J.バンクスとともに王立研究所設立に尽力 (1799) ,またハーバード大学にランフォード教授職,ロンドン・ロイヤル・ソサエティにランフォード・メダルをそれぞれ設けた。

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デジタル大辞泉の解説

ランフォード(Count von Rumford)

[1753~1814]米国生まれの物理学者・政治家。アメリカ独立革命後英国に亡命し、英国やドイツで政治家として活躍した。のちに英国・フランスで熱と運動の関係を研究し、熱は運動の一形態であることを立証してエネルギー概念確立の先駆となった。

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百科事典マイペディアの解説

ランフォード

本名ベンジャミン・トンプソンBenjamin Thompson。米国出身の政治家,軍人,物理学者。小売商,教師を務め,独立戦争では英軍将校となり,1776年英国へのがれ,火薬の研究で王立協会会員となる。
→関連項目トンプソン熱素説ローヤル・インスティチューション

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世界大百科事典 第2版の解説

ランフォード【Count Rumford】

1753‐1814
アメリカ生れの科学者,行政家。本名ベンジャミン・トンプソンBenjamin Thompson。マサチューセッツ州に生まれ,教職につくためにニューハンプシャー州コンコードに移り,1772年その地で14歳年上の金持の未亡人S.W.ロルフと結婚した。アメリカ独立戦争の際にはイギリス側について活動,ボストン陥落後はロンドンへ逃れ,植民省に職を得た。81年,大砲の点火口の最適位置や,火薬の調合と弾丸速度の関係などの科学的研究を発表し,ロンドンのローヤル・ソサエティ会員に選ばれた。

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大辞林 第三版の解説

ランフォード【Benjamin Thompson , Count von Rumford】

1753~1814) ドイツ・イギリスで活躍した物理学者。アメリカ生まれ。熱の運動説を提唱、エネルギー概念確立の先駆をなした。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ランフォード
らんふぉーど
Sir Benjamin Thompson, Count von Rumford
(1753―1814)

アメリカで生まれ、イギリス、ドイツで活躍した物理学者、政治家。本名ベンジャミン・トンプソン。マサチューセッツ州に生まれる。少年時代から自然科学を独学、10代後半には熱に関心をもち、研究をした。1775年独立戦争が勃発(ぼっぱつ)、彼はイギリス側についたが、1776年イギリスに亡命。
 イギリスでは植民地省に勤めながら、火薬の爆発力、海上信号法、兵器改良などの実験、研究を進め、王立協会会員に選ばれ、1781年には協会の機関誌に火薬についての実験報告をした。1784年からはバイエルン選帝侯の下で軍務大臣・内務大臣を務め、軍隊の改組やさまざまな社会的問題の改良に努め、1793年伯爵に叙せられ、ランフォード伯を名のった。1798年イギリスに戻ってロンドンに住み、二つの大きな仕事に取り組んだ。その一つは、熱の物質説否定の決定的根拠と彼が考えた大砲の中ぐり実験の報告(1798)であり、もう一つは、科学の産業と生活への普及と応用を目的とした王立研究所(ロイヤル・インスティチューション)の設立(1799)である。前者はバイエルン時代に大砲の中ぐり作業の監督中に着想し、実験によって熱の本性を運動とみなし、熱の仕事当量まで計算した。後者は友人のバンクスJoseph Banks(1743―1820)とともに計画、公開講義は2代目化学教授デービーとその助手から始まり、ファラデーの名講義は評判をよんだ。ランフォードは1804年イギリスを去り、パリで生涯を終えた。[高山 進]

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世界大百科事典内のランフォードの言及

【コンコード】より

…また石材(花コウ岩)の加工地としても知られている。1727年に定住が始まり,33年にランフォードという名称で町となり,65年にコンコードと改称した。1808年に州都となり,53年市制を施行。…

【熱】より

… 18世紀の終りにはもう一つ重要な実験が行われた。砲身をくり抜くとき大量の熱が発生するのに驚いたランフォード伯(B.トンプソン)は,先を丸めたドリルを使い,水の中に入れた砲身にあてて回転させることにより,消費された仕事と発生した熱量との関係を調べたのである。彼は摩擦によって際限なく熱を発生できるのであるから,熱は運動に違いないと考えた。…

※「ランフォード」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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