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リヒトホーフェン Richthofen, Ferdinand von Wilhelm

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

リヒトホーフェン
Richthofen, Ferdinand von Wilhelm

[生]1833.5.5. カルルスルーエ
[没]1905.10.6. ベルリン
ドイツの地理学者地質学者。 1860年ドイツ極東経済使節団に加わり,セイロン (現在のスリランカ) ,日本,台湾,セレベス (スラウェシ) ,フィリピン,マレー半島などを訪れた。 63~68年カリフォルニア地理学的調査に従事。 68年極東に帰り中国の奥地を旅行。 72年ドイツに帰り,75~79年ボン大学で地理学を教えた。ベルリン地理学協会会長であり,ベルリン国際地理学協会やベルリン海洋学会などを創設。中国をおもな研究地域として,地理学方法論の発展に貢献した。さらにこれまで地質学の一分野であった大陸や海底地形に関する地形学を樹立した。主著に『中国』 China,Ergebnisse eigener Reisen und daraufgegründeter Studien (5巻,1877~1912) がある。

リヒトホーフェン
Richthofen, Manfred, Freiherr von

[生]1892.5.2. ドイツ,ブレスラウ(現ポーランド,ウロツワフ)
[没]1918.4.21. フランス,ソンム
ドイツの空軍軍人。男爵。第1次世界大戦中,戦闘機中隊を率いて活躍。編隊による戦闘技術を創案した。みずからも真紅に塗った3枚翼のフォッカー機に搭乗し,「レッド・バロン」 (赤い男爵) の異名をもつ。撃墜数は未曾有の 80機 (イギリス機 79,ベルギー機1) を記録したが,ソンム上空で戦死

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デジタル大辞泉の解説

リヒトホーフェン(Ferdinand von Richthofen)

[1833~1905]ドイツの地理・地質学者。東南アジア・中国などの自然・地質を調査し、黄土成因論を発表。東西交渉路をシルクロードと命名した。著「中国」など。

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百科事典マイペディアの解説

リヒトホーフェン

ドイツの地理学者。1860年以後東南アジア,日本,カリフォルニア,また中国の自然・文化などの調査を行った。特に中国では本土の大部分を調査。帰国後,ボン,ベルリン各大学教授。
→関連項目ヘディン

リヒトホーフェン

ドイツの軍人。第1次大戦でフォッカー戦闘機隊を率いて活躍,自ら80機を撃墜して勇名をはせたが,北フランスで戦死。妹フリーダはD.H.ロレンスの妻。

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世界大百科事典 第2版の解説

リヒトホーフェン【Ferdinand Freiherr von Richthofen】

1833‐1905
ドイツの地理学者。カールスルーエの貴族の家柄に生まれる。当初は地質学者としてアルプスやカルパチ山脈の地質調査に従事していたが,1860年より中国を中心とした東アジアの調査に参加,その成果を《中国》全5巻(1877‐1912)の大著にあらわした。帰国後,ボン大学(1877‐83),ライプチヒ大学(1883‐86),ベルリン大学(1886‐1905)の地理学講座を主催し,近代地理学の発展に大きな影響を与えた。

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大辞林 第三版の解説

リヒトホーフェン【Ferdinand von Richthofen】

1833~1905) ドイツの地質学者・地理学者。中国の黄土層の風成説を唱えるなど、現代の自然地理学に先駆的役割を果たした。シルク-ロードの命名者。著「中国」

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世界大百科事典内のリヒトホーフェンの言及

【四川[省]】より

…表層には紅色~紫色の砂岩,ケツ岩を母岩とする紫色土が広くおおうため〈紫色盆地〉とよばれる。19世紀四川を調査したリヒトホーフェンは〈赤盆地Red Basin〉と名づけている。肥力も高く,リンやカリウムなどが豊富にふくまれる。…

【シルクロード】より

…ドイツ語のザイデンシュトラーセンSeidenstrassen(複数形〈絹の諸道〉)に基づく英語訳名。ドイツ語名は,ドイツの地理学者F.vonリヒトホーフェンの大著《支那China》第1巻(1877)に用いられ,以後これを受け継いだドイツの東洋学者A.ヘルマンの著書《シナ・シリア間の古代絹街道Die alten Seidenstrassen zwischen China und Syrien》(1910)などによって普及。古来,これらの交通路を利用して西方に運ばれた中国商品の代表的なものが絹であったことから付けられた名称である。…

【地形学】より

…一方,オーストリアの地質学者E.ジュースが《地相論》の大著で,大地形の系統的な記載を試みた。またドイツのF.vonリヒトホーフェンは,地質学から転じてベルリン大学の地理学教授となり,《中国》《探検旅行者の手引》の中に地形の解説をしている。リヒトホーフェンの後を継いだA.ペンクは《地表形態学》を著し,ドイツ派の地形学に基盤をおいた。…

【地理学】より

… 19世紀の中ごろから20世紀にかけては,各国に地理学協会や,諸大学に地理学教室が次々に設置され,地理学の発展期が訪れた。ベルリン大学のF.vonリヒトホーフェンはコロロギー学派を育てたし,ライプチヒ大学のF.ラッツェルは,初めて体系的な人文地理学と政治地理学の書物を著して環境論の科学化に貢献,フランスのビダル・ド・ラ・ブラーシュ,イギリスのH.J.マッキンダー,アメリカ合衆国のE.C.センプル,E.ハンティントンらの地理学者に影響を与えた。 その後,地理学はますます専門分化しながら発達するが,地理学の本質と方法,ラントシャフト(景観,景域)や地域,環境など地理学の基本的概念に関する論議も盛んになった。…

【はげ山】より

…日本ではげ山が著しく発生したのは,近世に樹木の伐採や草地の過利用(おもに燃料および緑厩肥用として)によって,植物の再生が妨げられた結果であった。ことに人口の集中する商工業地帯に近接する里山(さとやま)にその傾向が認められ,幕末に東海道沿岸を観察したドイツの地理学者リヒトホーフェンF.von Richthofen(1833‐1905)は,風景はすべて赤茶けた土山であると記した。山土の流亡はことに地質的に粘土質に乏しい花コウ岩の深層風化や第三紀の砂礫層で構成された丘陵に著しく,もっとも著しいのは近畿地方の諸盆地をめぐる山々と瀬戸内海沿岸部とであった。…

※「リヒトホーフェン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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