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リラ修道院 リラしゅうどういんRila Monastery

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

リラ修道院
リラしゅうどういん
Rila Monastery

ブルガリア西部,首都ソフィアの南約 60km,リラ山系の奥深くにあるブルガリア正教会総本山。 10世紀中頃,修道士イワン・リルスキーがここで隠遁修行を行なったのが始まりで,やがて彼を慕う信者や僧が集まり集落に発展。幾度かの大地震や火災を経て,14世紀の第2次ブルガリア帝国時代に王の庇護を受けて権勢をきわめ,外敵襲来に耐えうるよう堅固な城塞が築かれた。しかし,17~18世紀オスマン帝国の襲撃が続き,さらに 1833年の大火災でほぼ焼失した。だが,1年後に再建が始まり,広大な敷地に修道士用の独居房 300戸,礼拝堂4棟,図書館などが完成した。華やかに彩色された外壁に囲まれた内部は,膨大な数のフレスコ画が描かれ,華麗な装飾が施されている。 1983年世界遺産の文化遺産に登録。

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デジタル大辞泉の解説

リラ‐しゅうどういん〔‐シウダウヰン〕【リラ修道院】

Rilski manastirРилски манастир》ブルガリア西部、リラ山中にあるブルガリア正教会の修道院。10世紀、修道士イバン=リルスキにより創設。12世紀から14世紀にかけて、第二次ブルガリア帝国の皇帝の支援を受け、同国における精神的・文化的中心地となった。オスマン帝国支配下では、キリスト教信仰を制限されつつも、修道院としての活動が続けられた。19世紀に大火に見舞われ、直後に再建された聖母誕生教会や礼拝堂には、当時描かれた華麗なフレスコ画があることで知られる。1983年に世界遺産(文化遺産)に登録された。リラの聖ヨハネ修道院。リラの僧院

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百科事典マイペディアの解説

リラ修道院【リラしゅうどういん】

ブルガリアの首都ソフィアの南約120km,標高1147mの山中にある修道院。10世紀に修道僧イワン・リルスキ(リラのイワン)が建造し,15−19世紀のオスマン帝国の支配下ではギリシア正教および民族文化の唯一の拠点だった。

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世界遺産詳解の解説

リラしゅうどういん【リラ修道院】

1983年に登録されたブルガリアの世界遺産(文化遺産)で、首都ソフィア南方約60km、リラ山の山間に位置する同国最大の修道院。ブルガリア正教会の総本山である。隠遁(いんとん)修道士のイワン・リルスキーにより10世紀に建造された。聖書の140の場面を描いた「修道士ラファエルの十字架」などの所蔵品が豊富である。1833年には大火災で、フレリヨの塔以外はほぼ全焼したが、再建された。このように、ブルガリアにおける最も文化的、歴史的、建築学的に重要な遺跡の一つであることが評価され、人類の歴史上、重要な時代を例証するものとして、世界遺産に登録された。◇英名はRila Monastery

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世界大百科事典 第2版の解説

リラしゅうどういん【リラ修道院 Rilski Manastir】

ブルガリアの修道院。ソフィアの南120kmのリラRila山中にあり,創建は10世紀のリラのイワンIvan Rilskiにさかのぼる。14世紀に中興され,皇帝の保護のもとで栄えた。フレリオ塔と礼拝堂のフレスコはその当時のもの。17~18世紀の破壊と略奪のあと,18世紀末から19世紀に再建された教会堂と修道院には,フレスコや精緻な木彫のイコノスタシスまた典礼用品など,粋をつくしたものが備えられ,同修道院は民族復興時代のブルガリアの文化と宗教の中心をなした。

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