デジタル大辞泉 「リラ修道院」の意味・読み・例文・類語 リラ‐しゅうどういん〔‐シウダウヰン〕【リラ修道院】 《Rilski manastir/Рилски манастир》ブルガリア西部、リラ山中にあるブルガリア正教会の修道院。10世紀、修道士イバン=リルスキにより創設。12世紀から14世紀にかけて、第二次ブルガリア帝国の皇帝の支援を受け、同国における精神的・文化的中心地となった。オスマン帝国支配下では、キリスト教信仰を制限されつつも、修道院としての活動が続けられた。19世紀に大火に見舞われ、直後に再建された聖母誕生教会や礼拝堂には、当時描かれた華麗なフレスコ画があることで知られる。1983年に世界遺産(文化遺産)に登録された。リラの聖ヨハネ修道院。リラの僧院。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
改訂新版 世界大百科事典 「リラ修道院」の意味・わかりやすい解説 リラ修道院 (リラしゅうどういん)Rilski Manastir ブルガリアの修道院。ソフィアの南120kmのリラRila山中にあり,創建は10世紀のリラのイワンIvan Rilskiにさかのぼる。14世紀に中興され,皇帝の保護のもとで栄えた。フレリオ塔と礼拝堂のフレスコはその当時のもの。17~18世紀の破壊と略奪のあと,18世紀末から19世紀に再建された教会堂と修道院には,フレスコや精緻な木彫のイコノスタシスまた典礼用品など,粋をつくしたものが備えられ,同修道院は民族復興時代のブルガリアの文化と宗教の中心をなした。執筆者:鐸木 道剛 出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
百科事典マイペディア 「リラ修道院」の意味・わかりやすい解説 リラ修道院【リラしゅうどういん】 ブルガリアの首都ソフィアの南約120km,標高1147mの山中にある修道院。10世紀に修道僧イワン・リルスキ(リラのイワン)が建造し,15−19世紀のオスマン帝国の支配下ではギリシア正教および民族文化の唯一の拠点だった。18世紀に焼き打ちにあったが,19世紀に再建された。回廊や教会の丸天井は一面に極彩色の壁画が描かれている。木彫のイコノスタシス(イコンを掛けるついたての一種)は最高傑作といわれる。長さ50cmの十字架に米粒大の人物が1500人も刻まれている《ラファエロの十字架》は有名。1983年,世界文化遺産に登録。 出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
世界遺産詳解 「リラ修道院」の解説 リラしゅうどういん【リラ修道院】 1983年に登録されたブルガリアの世界遺産(文化遺産)で、首都ソフィア南方約60km、リラ山の山間に位置する同国最大の修道院。ブルガリア正教会の総本山である。隠遁(いんとん)修道士のイワン・リルスキーにより10世紀に建造された。聖書の140の場面を描いた「修道士ラファエルの十字架」などの所蔵品が豊富である。1833年には大火災で、フレリヨの塔以外はほぼ全焼したが、再建された。このように、ブルガリアにおける最も文化的、歴史的、建築学的に重要な遺跡の一つであることが評価され、人類の歴史上、重要な時代を例証するものとして、世界遺産に登録された。◇英名はRila Monastery 出典 講談社世界遺産詳解について 情報