ドイツの映画監督、俳優、写真家。ベルリンに生まれ、絵画と舞踏を学ぶ。舞踏家として名声を確立するが、1926年『聖山』で映画女優としてデビュー。一連の山岳映画に主演後、『青の光』(1932)を監督・主演する。ヒトラー政権時代に、ナチ党大会記録映画『意志の勝利』(1935)、ベルリン・オリンピックの記録映画『オリンピア』二部作(『民族の祭典』『美の祭典』(1938))を監督、傑出した撮影技術とリズミカルな編集により、世界の注目を浴びる。第二次世界大戦後ナチ宣伝の容疑で投獄されるが無罪となる。戦後は『低地』(1954)のみを完成、映画製作は停滞するが、その後第一級の写真家として活躍。アフリカの先住民を撮った写真集『ヌバ』(1973)、『カウ・ヌバ』(1976)ほか、アフリカ関係の著書も出す。晩年から潜水撮影を始め、水中写真集『水中の驚異』(1990)などを出版。このほか、自叙伝『回想』(1987)がある。また、2002年発表の『ワンダー・アンダー・ウォーター 原色の海』はダイビングによる映像を収めた48年ぶりの新作映画である。1993年には、ドイツとベルギーの合作で彼女の足跡をたどったドキュメンタリー映画『レニ』(レイ・ミュラー監督Ray Müller(1948― ))が製作された。1980年(昭和55)に来日している。
[奥村 賢 2022年6月22日]
青の光 Das blaue Licht:Eine Berglegende aus den Dolomiten(1932)
信念の勝利 Der Sieg des Glaubens(1933)
意志の勝利 Triumph des Willens(1935)
自由の日 Tag der Freiheit - Unsere Wehrmacht(1935)
民族の祭典 Olympia 1. Teil - Fest der Völker(1938)
美の祭典 Olympia 2. Teil - Fest der Schönheit(1938)
低地 Tiefland(1954)
ワンダー・アンダー・ウォーター 原色の海 Impressionen unter Wasser(2002)
『平井正著『レニ・リーフェンシュタール――20世紀映像論のために』(1999・晶文社)』▽『瀬川裕司著『美の魔力――レーニ・リーフェンシュタールの真実』(2001・パンドラ)』▽『ライナー・ローター著、瀬川裕司訳『レーニ・リーフェンシュタール――美の誘惑者』(2002・青土社)』▽『スティーヴン・バック著、野中邦子訳『レニ・リーフェンシュタールの嘘と真実』(2009・清流出版)』▽『椛島則子訳『回想――20世紀最大のメモワール』上下2巻(文春文庫)』
〈ナチス映画〉を代表するドイツの映画監督,女優。ベルリンに生まれ,美術を学んだのちバレリーナとしてマックス・ラインハルトの指導をうけ,アーノルト・ファンク監督に認められて山岳映画(《聖山》1925,《死の銀嶺》1929,《白銀の乱舞》1931,等々)に主演,ハンガリー生れの映画脚本家・理論家ベラ・バラージュの協力をえて,イタリアのドロミティ地方の山岳伝説を題材にした《青の光》(1932)を監督,主演する。ヒトラーに信頼され,1933年にニュルンベルクで開かれたナチス党大会の記録映画《信念の勝利》,つづいて34年党大会の《意志の勝利》,36年のベルリン・オリンピック映画《オリンピア》(《民族の祭典》と《美の祭典》の二部作。1938)をつくって,ドキュメンタリー映画史上の金字塔を打ち立てた。〈ヒトラーの愛人〉〈第三帝国のセックス・シンボル〉〈道徳意識のない日和見主義者〉といわれ,映画人として国家社会主義思想をもっていたという〈証拠〉はないものの,〈ヒトラーに愛された女性〉でありヒトラー好みの映画をつくったことはたしかである。とくに《意志の勝利》と《オリンピア》を貫いている民族的英雄主義をたたえる技術的手法は,ナチスの〈宣伝映画〉の基本的なスタイルになった。
45年戦犯容疑でフランスで捕らえられ,4年間の収容所生活ののち,ユージェーヌ・ダルベール(1864-1932)のオペレッタを13年がかりで映画化した《低地》(1954)を完成,その後は,ヨーロッパの雑誌のカメラマンとして働き,スーダンのコルドファン丘陵地帯に住むヌバ族の写真集《ヌバ》(1964)を発表して話題になった。
執筆者:柏倉 昌美
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… ナチス・ドイツの宣伝相ゲッベルスがいち早く〈映画局〉を設置し,クラカウアーによれば〈戦争が起るとすぐに,ドイツ宣伝省は,ニュース映画を戦争宣伝の効果的な道具にするために,可能なあらゆる手段を用いた〉ことも重要な映画史的事実である。ヒトラーがF.ラングに〈ナチ映画〉を作らせようとしたこと,アメリカに渡って国際的なスターになったマルレーネ・ディートリヒを呼びもどして〈第三帝国のスター〉に迎えようとしたこと,さらに〈ドイツ女性の完ぺきな典型〉とヒトラー自身が呼んだレニ・リーフェンシュタールに,オリンピック映画《民族の祭典》と《美の祭典》(ともに1938)を作らせて,ナチの力を世界に誇示することに成功したこともよく知られている。アメリカ合衆国政府も,第2次大戦中は,マーシャル将軍の指令により,フランク・キャプラ監修による有名な戦意昂揚映画シリーズ《われらはなぜ戦うか》(1942‐44)を作った。…
…聖火リレー,聖火台(1936),3段の表彰台(1932)など,のちにIOCで規定される式典様式はこの大会で創始されたものが多く,オリンピック大会の規模と形式は,ロサンゼルスとベルリンの両大会から決定的な影響を受けた。IOCが記録映画をつくるようになったのもベルリン大会からであり,L.リーフェンシュタールの《民族の祭典》と《美の祭典》(ともに1938)はベネチア映画祭で金賞を受賞。ベルリン大会に先立って開催されたIOC総会は,40年の第12回大会を東京で開催することを決定した。…
…第1次世界大戦後の〈表現主義映画〉,そこから出発して国際的な評価を得たエルンスト・ルビッチ,フリッツ・ラング,F.W.ムルナウ,G.W.パプストといった監督たち,レニ・リーフェンシュタールのオリンピック記録映画によって代表される1930年代のナチス宣伝映画,そして国際的なスターとして知られるウェルナー・クラウス,コンラート・ファイト,マルレーネ・ディートリヒ,アントン・ウォルブルック,クルト・ユルゲンス,ホルスト・ブーフホルツ,ヒルデガルド・クネフ(アメリカではヒルデガード・ネフ),ロミー・シュナイダー,マリア・シェル,マクシミリアン・シェル,ゲルト・フレーベ等々の名が,〈ドイツ映画〉のイメージを形成しているといえよう。以下,第2次大戦後,東西二つのドイツに分割されて政治的対立の下に映画活動も衰退せざるを得なくなるまでの動きを追ってみる。…
…
[戦中のドキュメンタリー]
第2次大戦前後,各国がドキュメンタリーを政治的な宣伝や戦意昂揚のために利用したことはいうまでもない。ドイツでは,ナチ宣伝相ゲッベルスによってあからさまな宣伝映画がつくられ,レニ・リーフェンシュタールによるニュルンベルクのナチ党大会を記録した《意志の勝利》(1935)やベルリン・オリンピックの記録《オリンピア》(1938)などをはじめ,ドイツ軍の力を誇示する《戦火の洗礼》(1940),《西部戦線の勝利》(1941)などの戦争ドキュメンタリーで,ナチズムとその勝利を宣伝した。 一方,アメリカでも,早くから反ナチ宣伝映画がつくられていた。…
※「リーフェンシュタール」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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