ハンガリーの哲学者,美学者。いわゆる〈西欧的マルクス主義〉の代表者。ブダペストの銀行家の家に生まれ,はじめ故国で演劇運動に携わったが,ドイツではジンメル,ウェーバーに学び,エッセー集《魂と形式Die Seele und die Formen》(1911),ジャンルの変化の歴史哲学的考察《小説の理論Die Theorie des Romans》(1915)で頭角を現し,E.ラスクと並ぶ新進思想家として注目される。ハンガリー革命に当たってブダペストに帰り,革新的知識人のリーダーとして文化革新運動に挺身,1918年にはハンガリー共産党に入党して,クン・ベーラ政権の教育文化相となるが,挫折後ウィーン,ベルリン等に亡命。この間,批判的マルクス主義の記念碑的名著といわれる《歴史と階級意識Geschichte und Klassenbewusstsein》(1923)を著す。これはマルクスの疎外論の動機を再発見するとともに,マルクス主義を西欧哲学の中心概念によって基礎づける画期的なものであったが,党の正統派からは修正主義として非難を浴びた。33年のナチス政権獲得後はモスクワに亡命,科学アカデミー哲学研究所に属して文学史,美学等の研究に従事,市民的リアリズム,前衛芸術の位置づけに関しゼーガース,ブロッホ,ブレヒトらといわゆる〈表現主義論争〉をおこす。戦後ハンガリーに帰ってブダペスト大学教授となり,実存主義との論争や,ヘーゲル哲学の形成への経済学の影響を指摘した《若きヘーゲルDer junge Hegel》(1948),ナチスを準備した近代の西欧哲学の非合理主義を批判した《理性の崩壊Die Zerstörung der Vernunft》(1954)等により,東側の代表的思想家の地位を確立する。しかしたび重なる自己批判にかかわらず,ハンガリー事件等のたびに党側からは非難を受け,晩年は美学,存在論等の著述に没頭した。
執筆者:徳永 恂
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
1885~1971
ハンガリーの哲学者。ドイツに学び,帰国後共産党に入党,1919年にハンガリー・ソヴィエト共和国の教育文化相となる。ハンガリー革命崩壊後ウィーンに亡命,『歴史と階級意識』などを著すが,党主流からは批判される。33年ソ連に亡命。第二次世界大戦後帰国し,ブダペシュト大学教授となる。『若きヘーゲル』や『理性の崩壊』などを著してマルクス主義哲学者として活躍し,56年のハンガリー事件に際してはナジ政府に参加。思想的にも政治的にも党の教条主義的主流からは批判を受け続けた。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…【神品 芳夫】。。…
…疎外【広松 渉】。。…
…【広松 渉】。。…
…【森 時彦】。。…
…【山田 登】。。…
…【小池 滋】。。…
※「ルカーチ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
突発的に発生し、局地的に限られた地域に降る激しい豪雨のこと。長くても1時間程度しか続かず、豪雨の降る範囲は広くても10キロメートル四方くらいと狭い局地的大雨。このため、前線や低気圧、台風などに伴う集中...