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ルネサンス美術 ルネサンスびじゅつ Renaissance art

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ルネサンス美術
ルネサンスびじゅつ
Renaissance art

14~16世紀,ヨーロッパ全域に興った革新的な美術。古代文化における人間性の復活,自然の再発見,個性の解放を特徴とした。イタリアでは,1300年頃のジョットを先駆者として,15世紀前半にマサッチオらによる人体解剖学の研究,遠近法などによる客観的写実主義が追求され,15世紀後半フィレンツェを中心にボティチェリマンテーニャが活躍。

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世界大百科事典 第2版の解説

ルネサンスびじゅつ【ルネサンス美術】

15~16世紀にイタリアを中心に展開された美術の総称。
ルネサンス美術の概念】

[古代文化の〈再生〉]
 ルネサンスrenaissanceとは〈再生〉を意味するフランス語で,J.ミシュレ(1867)およびJ.ブルクハルト(1860)によって,15~16世紀のヨーロッパにおける文化史上のエポックを指す概念として用いられ,今日もまたそのように用いられている。この語および概念は,本来イタリア語の〈リナッシタrinascita〉(〈再生〉の意)に由来するもので,その源はダンテの《新生》《神曲》などの作品中にすでに現れ,古典古代の文芸およびそこに含まれた思想を現代(すなわち14世紀)に復興しようとするペトラルカボッカッチョら文人たちの著作によって明確にされた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ルネサンス美術
るねさんすびじゅつ

美術史におけるルネサンスは、15、16世紀のヨーロッパ美術、ことにイタリアで発展した美術の様式および時代区分の概念である。[上平 貢]

美術史におけるルネサンス

19世紀以降、ルネサンスRenaissanceは一般に文芸復興と訳され、広くヨーロッパの文化現象を把握する概念として登場した。そして古代のギリシア・ローマの芸術・文化を理想として、文学、美術、思想など、あらゆる領域で新しい文化を創造しようとした14世紀から16世紀に至る全ヨーロッパ的な運動をさした。しかし、美術史の通説では、1420年、建築家ブルネレスキが古代研究の成果を最初に実現したフィレンツェ大聖堂円蓋(えんがい)の工事が起工されたころから、1520~30年ごろに古典的美術がマニエリスムに移行した年代までのイタリア美術に限定して狭く用いる。その場合とくに、1500年を境に1400年代を前期ルネサンス、1500年代を盛期ルネサンスと称する。
 ルネサンスというフランス語は、「再生、復活」を意味するイタリア語のリナシタrinscitaに由来する。古く14世紀の詩人ペトラルカやボッカチオらが、失われていた古代の芸術を彼らの新時代によみがえらせる意味にこのことばを用いて以来、イタリアの人文主義的史観として受け継がれていった。15世紀の美術家ギベルティやアルベルティ、フィラレーテらの著作にそれがみられる。とくに16世紀の美術家ジョルジョ・バザーリは、その『美術家列伝』(初版1550)で数回リナシタの語を使って、古代美術のよい様式がいったん野蛮な民族の侵入や中世キリスト教による偶像破壊運動のために衰退し、さらに粗野なマニエラ・テデスカmaniera tedesca(ドイツ風様式)や生硬なマニエラ・グレカm. greca(ビザンティン風様式)が支配していたが、13世紀後半からイタリアのトスカナ地方で画家のチマブーエやジョット、彫刻家のニコラ・ピサーノやアルノルフォ・ディ・カンビオらが出現して、ようやく古代の優れた芸術精神が復活されたと述べた。しかも、この古代の再生が古典の研究と自然の模倣に立脚した自然主義の推進によることも明確に指摘していた。
 かつて19世紀のミシュレやブルクハルトがルネサンスを「人間と世界の発見」の時代と説いて以来、ルネサンスは単なる古代の再生というだけでなく、中世と決別したむしろ新しい人間像や世界観の到来を告げる輝かしい文化史上の概念として拡大された。しかし、今日ではかえって、ルネサンスは中世との関係をめぐってヨーロッパ文化全体を巻き込んだ活発な論議の対象となり、またカロリング朝や12世紀の文化にもルネサンスがとなえられ、複雑かつ多義的な概念となっている。しかし、バザーリにみたように、ルネサンスは本来イタリアの美術風土に成立し、しかもこの時期のイタリアの美術家たちの史的認識と芸術意志が生み出した、美術現象を契機として形成された概念といわねばならない。[上平 貢]

ルネサンス美術の曙

もともと古典古代の文化的基盤にたつイタリアでは、古代の再生は15世紀に突然に自覚されたわけではない。すでに新しい美術の萌芽(ほうが)は、当時の人々が対立的にとらえていた中世のゴシック美術のなかに早くから現れた。北方の中世美術の影響はイタリア中部のトスカナにも及んだが、この地方の美術は13世紀ごろからしだいに独自な様相を示し始めた。ドミニコ会やフランチェスコ会の新しい宗教観の興隆に促されて、教会建築の造営をはじめ、各地で説教壇、板絵祭壇画、壁画の制作などが活況を呈した。
 彫刻のニコラ・ピサーノは、古代作品の研究から、明晰(めいせき)な構図や人体の量塊的把握を通じて古典的な壮大さや調和を回復した。ジョバンニ・ピサーノは、父ニコラの作風に写実的な人物描写や動的な空間表現を加えて、自然主義への道を一歩進めた。アルノルフォ・ディ・カンビオは建築にも活躍したが、簡明な形態と温雅な心情を宿す赤裸々な造形性を主張した。絵画では、チマブーエが当時のビザンティン風の宗教画に現実的イメージを注入し、人間像にほとばしる生命感情を充実させた。ローマの画家ピエトロ・カバリーニはフレスコ画法を再興し、古代の伝統をよみがえらせた。14世紀にフィレンツェ画派の基礎を確立したジョットは、豊かな自然感情によって、人物の表情や姿態にリアルな存在感を与え、背後の空間に奥行と明暗を描出するとともに、画面に合理的な均衡と秩序を構成し、知性と感情の融和を達成した。彼によって、古典的な造形原理と、人間および自然の真実に迫る新時代の芸術精神との統一が予言されたといえる。シエナにも美術の新しい胎動がおこった。多くの聖母子像を描いたドゥッチョは、優雅な感受性と甘美な色彩を特色とし、物語的図解力を発揮した。それを受けたシモーネ・マルティーニは、線のリズムに人間感情の起伏と異国的な情趣を漂わせた壮麗な世俗的画風を樹立した。またピエトロとアンブロジオのロレンツェッティ兄弟は、宗教画のみならず愛郷的な市民意識に根ざした寓意(ぐうい)的主題にも、人間のなまな熱情や視線を注ぎ、日常の生活や情景への関心を高める一方、空間描写を三次元的に進展させた。
 14世紀前半期までのこうしたトスカナ諸都市の美術動向は、15世紀の前期ルネサンスに先行する美術活動として、とくにプロト・ルネサンスとよばれる。しかし、黒死病(ペスト)の来襲を転機として14世紀後半のヨーロッパ社会は極端な厭世(えんせい)と救済の思想に覆われ、イタリア美術もそのころの世俗的な写実主義と禁欲的な超越主義の対立と相克を反映した。一見ルネサンスの方向は停滞あるいは逆行したように思われるが、かえって身近な現実に対する入念な写実的態度や装飾的傾向を強め、やがて1400年前後に約70年にわたってヨーロッパ各都市の宮廷を中心に展開した、夢幻的かつ繊細甘美な後期ゴシック国際様式の風潮に合流していった。[上平 貢]

前期ルネサンスの美術

ジョットが再生を予告した新時代の芸術が明確にその骨格をみせ始めたのは、まず15世紀のフィレンツェであった。この都市は、政治的・経済的な繁栄を背景に人文主義の思潮をはぐくみ、人間の人格と個性を尊重した。美術家たちは組合をつくり工房を拠点にして、こぞって古代作品の研究や写実的な自然の探究を進めていく。市民たちの美術に対する高い関心と公私にわたる旺盛(おうせい)な注文に応じて、建築、彫刻、絵画などあらゆる造形分野が互いに呼応しながら活性化していった。
 ブルネレスキは、ローマで古代建築を調査して各種の架構技術を解明するとともに、古典的構成美の本質を体得した。その成果をフィレンツェの教会建築群に適用して、現実的な有限の都市空間に均斉のとれた明晰な各部分の比例や統一を達成し、ルネサンス建築の調和的理想像を提起した。彼に続いたミケロッツォ・ディ・バルトロメオやアルベルティらは、宮殿や教会の建築設計に古代様式に基づく構想を熱心に追求した。15世紀後半には、フィレンツェで成立した新様式はイタリア各地に波及し大きな反響をよんだ。さらにブラマンテやピエトロ・ダ・ロンバルドらを通して、15世紀末から16世紀にかけてミラノ、ベネチア、ローマへと輪を広げ、それぞれの環境と趣味に応じて独自の展開をみせた。
 彫刻は建築とともに古代の作例との関連が深く、作風と技法の両面から当代の彫刻家は多大の示唆を受けた。15世紀初頭のナンニ・ディ・バンコ、ギベルティ、ブルネレスキ、シエナのヤコポ・デッラ・クエルチアらが早くも研究に着手し、競って人物の彫塑的表現の諸問題に取り組んだ。とくにドナテッロは、古代研究と並んで人体の写実的追求を重ねて、古典精神と自然主義との融合を図り、ゴシックの名残(なごり)を脱却して彫刻に新しい変革をもたらした。このころ、彫刻はしだいに建築に対する従属的地位を解かれ、彫塑芸術本来の量塊的な立体性と自由な空間性、そして独立した記念碑性を確立しつつあった。宗教的主題のほかに肖像や騎馬像、異教的主題も数多く登場し、木、大理石、ブロンズ、テラコッタなど多様な素材を駆使して、多彩な造形表現が繰り広げられた。ドナテッロに続いてロッビアとその一門、ミーノ・ダ・フィエーゾレ、セッティニャノ、ロッセリーノなどが活躍した。15世紀後半には進歩的なポライウオーロ兄弟、ベロッキオ、ベルトルドらが解剖学的探究や運動表現、心理描写によって写実主義をいっそう促進させた。
 絵画におけるルネサンスの開花は、国際ゴシック様式の克服とジョットの芸術精神の再興を意味した。その画期的な革新者は1420年代のマサッチョであった。ブルネレスキから透視図法を、ドナテッロから厳格な写実主義を学んだ彼は、光と空気の充満した造形空間に量感豊かな実在的な人物や風景を描出した。現実の生命感にあふれた可触的な人体、合理的な明暗法と遠近法による広壮な統一的構図は、新時代の人間の尊厳と自然空間の芸術性を実証した。その後、15世紀の前半から中葉にかけてマサッチョの偉大な足跡を追う多くの画家が輩出した。それは、宗教画に自然主義を導入して清純な至福の世界を描いたフラ・アンジェリコ、透視図法の幾何学的研究に熱中して夢幻的な画境を築いたウッチェロ、聖母にも世俗的な人間感情を移入したフラ・フィリッポ・リッピ、光と色彩の合理的な関係に着目したベネチアーノ、徹底した写実に鋭敏な情感を注いだカスターニョ、壮麗な風俗絵巻を描いたゴッツォリ、精妙な人体と風景を描いたバルドビネッティらがそれである。この世紀後半には、自然観察を人体解剖などの科学研究にまで進めていったポライウオーロ兄弟やベロッキオ、肖像と風俗の描写に客観的な写実主義を貫いたギルランダイヨがいる。そして激しい情念の画家ボッティチェッリは、ルネサンス芸術の形式と理念を掲げながら画風に後期ゴシックの神秘な詩的情趣を宿し、古代と中世の不思議な和解を試みた。
 フィレンツェ以外の地域の絵画では、中部イタリアにペルジーノ、ピントリッキョ、とくに遠近法と人体比例を研究し洗練された色彩を用いて格調の高い画風を形成したピエロ・デッラ・フランチェスカがいる。北イタリアでは、遠近法を駆使した堅牢(けんろう)な人物描写によって独自の芸術的個性を主張するマンテーニャをはじめ、コスメ・トゥーラ、コッサが注目される。このほかベッリーニ一門、アントネッロ・ダ・メッシーナ、クリベッリらもユニークな活動をした。[上平 貢]

盛期ルネサンスの美術

前期ルネサンスの美術家たちは、熱心な古代作品の研究、緻密(ちみつ)な描写対象の観察、人体の解剖学的探究、光と明暗の光学的追求、さらに空間に対する幾何学的法則性の解明、つまり遠近法の課題など、これらに合理的かつ科学的な態度で臨んだ。こうした自然の模倣、すなわち人間と自然に関する客観的な写実主義の増大は、同時に古代芸術の再生を意味し、さらに古典的な理想主義への到達を目標としていた。しかし、高次な古典的芸術への道はレオナルド・ダ・ビンチによってようやく開かれた。彼は絵画、彫刻、建築の造形芸術はもとより、多方面にわたる科学的研究にも秀で、ルネサンス美術家のもっとも典型的な「万能の天才」であった。そして、芸術創造の内奥はつねに科学的思考と分かちがたく結ばれていた。レオナルドは、偶然的なものを排除して普遍的なものを目ざし、客観的な描写対象に主観的な深い精神内容を統一させて理想的な古典様式を完成した。彼の芸術は16世紀初頭のイタリアで人々の注目を集め、後進の共鳴者を出すようになった。また、当時ローマで盛んに発掘された古代彫刻にも鼓吹されて、古典様式は広まっていく。ミケランジェロもこのころ、ほとばしる熱情とたくましい造形力を駆使して、力感あふれる永遠的な人間像を絵画や彫刻に表現した。彼はむしろ写実を抑えた主観的な理想形式に傾いた。若いラファエッロは全生涯を盛期ルネサンスに没入させたといってもよく、前二者の芸術から多大の成果を吸収して自らの画風に同化させる一方、進んで古代研究に従事して得た知見も総合して、理想的な人間美の形式を樹立した。ほかに画家ではフィレンツェのフラ・バルトロメオやサルト、シエナのソドマ、エミリアのコレッジョとドッソ・ドッシ、そしてとくにベネチアのジョルジョーネと初期のティツィアーノやピオンボの出現が注目される。[上平 貢]

ルネサンス美術の余映

盛期ルネサンスは意外に短期間である。すでにルネサンス美術の中心地は、フィレンツェからローマへ、あるいはベネチアへ移りつつあった。1520年代に成立したマニエリスム、さらにバロック様式へと時代が下るにつれこの傾向はいっそう強まっていく。それとともに、盛期ルネサンスの古典様式の調和・均衡・安定を旨とする規範的な理想美は、かえって反発の対象となった。しかし、近世以後のヨーロッパ美術の発展には、古典主義への回帰が幾度かみられ、その輝きが消え去ることはない。
 イタリアのルネサンス美術と同時代に並行して展開したフランドル、ドイツ、フランスなど他のヨーロッパ地域の美術について、この両者を中世後期ないし近世初期の分極現象とする見方もあるが、後者に本来の「古代の再生」としてのルネサンス概念を適用することは困難である。[上平 貢]
『摩寿意善郎編『大系世界の美術13~15 ルネサンス美術I~』(1976・学習研究社) ▽M・ドヴォルシャック著、中村茂夫訳『イタリア・ルネサンス美術史』上下(1966・岩崎美術社) ▽L・H・ハイデンライヒ著、前川誠郎訳『人類の美術 第二期5 イタリア・ルネッサンス1400~1460』(1975・新潮社) ▽鈴木博之編『世界の建築6 ルネサンス/マニエリスム』(1982・学習研究社) ▽ヴァザーリ著、平川祐弘・小谷年司訳『ルネサンス画人伝』(1982・白水社)』

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世界大百科事典内のルネサンス美術の言及

【イタリア美術】より

…一方,ベネチアは最も安定した都市国家として,この間も,G.ベリーニ,ジョルジョーネ,ティツィアーノという形式と精神の幸福な一致を示す巨匠を生んでいる。ルネサンス美術
【マニエリスム】
 13世紀から15世紀末まで,実証的認識に価値を見いだしていた市民層の芸術であったルネサンスは,その社会の崩壊とともに危機を迎えた。市民の経済を支えていた地中海貿易は破産し,フランス,スペインはイタリアを植民地化し,宗教改革はローマ教会を直撃した。…

【ドイツ美術】より

… まず絵画では,デューラーとグリューネワルトとがドイツのルネサンスを代表する両雄である。前者はみずからイタリアへ赴いてルネサンス美術の教養を身につけ,合理的形態と線的表現手段とによってドイツ的心情に記念碑的形態を賦与した(《四人の使徒》1526)。後者の《イーゼンハイム祭壇画》(1515ころ)は燃えるような色彩によってドイツ的幻想性をうたい上げた作品である。…

【バロック美術】より

…ウェルフリンは,これらを〈絵画的〉〈深奥的〉〈不明瞭〉〈開放的〉〈統一的〉なビジョンと定義した。これはルネサンス美術の根本原理である〈線的〉〈平面的〉〈明瞭〉〈閉鎖的〉〈多様的〉と対立するものであると把握された。これは本質をつく見解ではあるが,今日では克服された一面性をもっている。…

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