アルトドルファー(英語表記)Albrecht Altdorfer

デジタル大辞泉 「アルトドルファー」の意味・読み・例文・類語

アルトドルファー(Albrecht Altdorfer)

[1480ころ~1538]ドイツの画家版画家・建築家ルネサンス期に活躍した。ドナウ派の代表的な画家の一人。風景描写に優れ、神秘的な表現で知られる。作「ドナウ風景」など。

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改訂新版 世界大百科事典 「アルトドルファー」の意味・わかりやすい解説

アルトドルファー
Albrecht Altdorfer
生没年:1480ころ-1538

ドイツの画家。生地や初期の修業については不詳。早くからレーゲンスブルクに住み,終生この町ですごした。初期の作品は,自然や人物の描写にクラーナハあるいはデューラーの影響がうかがえる。彼はドナウ派の中心的な画家で,草創期の風景画芸術の発展に果たした役割はきわめて大きい。《ドナウウェルトの眺め》(《城のある風景》,1528ころ)は,人物を含まない純粋な油彩風景画としてはヨーロッパ最初の例とされ,そこには自然そのものに対する感情のめざめが見てとれる。彼はレーゲンスブルクの公式の建築家でもあり,絵画作品では建築的なモティーフが大きな比重を占める。晩年,バイエルン公ウィルヘルム4世のために描かれた《アレクサンドロス大王の戦い》(1529)は,単なる歴史画,戦争画の域をこえた壮大な宇宙的ビジョンをたたえた作品。版画,水彩デッサンにもすぐれ,とくに風景をモティーフとしたものはデューラーと並び高く評価される。なお同じころ画家,版画家として活動したエアハルト・アルトドルファーErhard Altdorfer(1480ころ-1561)はアルトドルファーと兄弟とも言われるが,確証はない。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「アルトドルファー」の意味・わかりやすい解説

アルトドルファー
あるとどるふぁー
Albrecht Altdorfer
(1480ころ―1538)

ドイツの画家。父は15世紀末レーゲンスブルクで活躍した細密画家ウルリヒUlrich Altdorferと推定される。1505年画家としてレーゲンスブルクの市民権を得、1519年市参事会員、1526年市の建築家に任ぜられた。1535年には外交使節としてウィーン宮廷に赴いた。1526年以前にイタリアへ旅したという説もある。彼は16世紀のドイツ美術を代表する偉大な画家の一人で、制作は宗教、風景、歴史画にわたり、版画や建物を描いたデッサンも多い。『ドナウ風景』(1532ころ)のような純粋風景画もある。ドイツの森や山岳と宗教的な主題との融和を図り、ロマン主義的なドナウ派の中心的存在となった。イッソスの戦いを描いた『アレクサンドロス大王の戦い』(ミュンヘン、アルテ・ピナコテーク蔵)は宇宙的な視野で、自然と人間の劇的な交感を描いた代表作である。

[野村太郎]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アルトドルファー」の意味・わかりやすい解説

アルトドルファー
Altdorfer, Albrecht

[生]1480頃.レーゲンスブルク
[没]1538.2.12. レーゲンスブルク
ドイツの画家,版画家。 1505年以後,レーゲンスブルク市政府のために制作。 09年聖ペトルス聖堂のための作品の注文を受ける。 19年市参事会員,26年市の建設担当官に任命される。中期の制作において,彼の風景画はまったく人物の存在しない純粋な風景画として成立するが,これは絵画史上における最初の純粋な風景画として注目される。『レーゲンスブルク近郊のドナウ風景』 (1532頃,ミュンヘン,アルテ・ピナコテーク) など。後期の作品は風景への探求と精密な群像描写とが一体化し,劇的な構図を生む。 29年の『アレクサンドロス大王の戦い』 (ミュンヘン,アルテ・ピナコテーク) がその代表作。

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百科事典マイペディア 「アルトドルファー」の意味・わかりやすい解説

アルトドルファー

ドイツの画家,版画家。生地と推定されるレーゲンスブルクを中心に活動し,ドナウ派の代表的画家の一人。風景を数々のデッサンや版画に詩情豊かに描き,人物なしの純粋な風景画を描いたヨーロッパ最初の画家とされる。童話的な夢幻性に富む宗教画や,劇的な画面構成を示す歴史画も残す。代表作に《エジプト逃避途上の休息》(1510年,ベルリン国立絵画館蔵),《ドナウウェルトの眺め》(1528年ころ,ミュンヘン,アルテ・ピナコテーク蔵),《アレクサンドロス大王の戦い》(1529年,同館蔵)などがある。

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世界大百科事典(旧版)内のアルトドルファーの言及

【ドイツ美術】より

…このうちバルドゥングはグリューネワルトの色彩からも感化を受けながらも,後者の色彩の魔術へはいたりえなかった。しかし同じころドナウ川の沿岸で活躍した画家たち(ドナウ派)のうちアルトドルファーの画面には,グリューネワルトを思わせる色彩の固有な表現価値が生かされ,画期的な自然風景の描写をみせている。神話や聖書の女性を妖艶に描いたクラーナハも,その初期はドナウ派の一人であった。…

【ドナウ派】より

…南ドイツ,バイエルンのレーゲンスブルク,パッサウからウィーンに至るドナウ河畔で16世紀前半に活動した一群の画家をさす。アルトドルファー,フーバーWolf Huber(1485‐1553),フリューアウフ(子)Rueland Frueauf,初期のL.クラーナハなどが中心で,その他ヒルシュフォーゲルAugustin Hirschvogel,ラウテンザックHans Sebald Lautensackなどの版画家もあげられる。彼らは一派を形成したわけではなく,また個人的なつながりもほとんどなかったが,ドナウ河畔の美しい自然に対する風景感情のめざめという点で共通していた。…

※「アルトドルファー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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