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ルーブル宮殿 ルーブルきゅうでん Palais du Louvre

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ルーブル宮殿
ルーブルきゅうでん
Palais du Louvre

パリのセーヌ川岸にあるフランスの代表的宮殿。 1200年国王 P.オーギュストが城砦として築城。 13世紀にパリの囲壁がルーブル城の外に拡張されて,城砦としての役割が終り,シャルル5世が住居として改造。

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デジタル大辞泉の解説

ルーブル‐きゅうでん【ルーブル宮殿】

《〈フランス〉palais du Louvre》フランス、パリのセーヌ川右岸にある旧王宮。13世紀にフィリップ2世が城塞として建造。以後、改修・増築を重ね、19世紀のナポレオン3世時代に現在の形となった。現在は大部分がルーブル美術館となっている。

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世界大百科事典 第2版の解説

ルーブルきゅうでん【ルーブル宮殿 Palais du Louvre】

フランスの代表的な宮殿。パリの中央,セーヌ川右岸に位置する。現在は美術館,官庁などが収められている。規模は東西約600m,南北約300m。この場所に最初に建てられたのは,中世のパリの市域を囲む市壁の一部をかたちづくる城塞(1200ころ)で,セーヌ川の出口を固める役割を果たした。この建物は櫓(やぐら)を巡らせたいかめしい造りであったが,それが新たにルネサンス風の華やかな装いを呈するのは,1546年,国王フランソア1世が古い建物を取り壊し,建築家P.レスコに新しい宮殿の設計を命じたことに始まる。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ルーブル宮殿
るーぶるきゅうでん
Palais du Louvre

パリ市のほぼ中央部、セーヌ川の右岸に位置するフランスの旧王宮。総面積約19.7万平方メートルで、東側には方形の中庭を囲む旧ルーブル宮があり、そこから西側へやや末広がりに2列の翼屋(よくおく)が伸び、カルーセル広場を挟んで新ルーブル宮となっている。この宮殿の起源は古く、フィリップ2世(在位1180~1223)がパリ右岸の防備のために築いた城砦(じょうさい)がその発端であり、ルーブルの名称はこのあたりの地名に由来するといわれる。16世紀になってフランソア1世(在位1515~47)が、まず改築を計画し、ついで全面取り壊しのうえ新宮殿の建設を決定したのち、造営工事は延々19世紀のナポレオン3世(在位1852~70)時代まで続いた。そのため、この建造物にはフランス・ルネサンス以後の近代建築、建築デザインの様式進展の過程がくまなく具現されており、建築史の一部を構成しているといえる。
 旧ルーブル宮の中庭に面した西側の一部(1546~59)はピエール・レスコーの設計であるが、その中央入口のデザインには古代ローマの凱旋(がいせん)門モチーフが使われている。しかし、この設計者独自のデザイン感覚を反映して、フランス風の趣向が加味されている点を見逃すことはできない。すなわち、入口の左右の壁面に突出部を設け、それぞれ上部に櫛(くし)形のペジメント(三角形の切妻尾根)をつけてパビヨン(小規模な邸館)風に構成し、その1、2層目にはコリント式とコンポジット式の円柱を配して、柱間には彫像を据えている。このように、レスコーはイタリアの古典主義様式をフランス的感覚で消化し、完全に自家薬籠中(やくろうちゅう)のものにしている。
 ルイ14世(在位1643~1715)の親政時代に入り、宰相コルベールはルーブル宮の設計を改めて委嘱すべく、1665年ジャン・ロレンツォ・ベルニーニをローマから招いた。しかし、彼の設計案はフランス人の意向に沿うものでなかったばかりでなく、建物全体の外観を統一するためには、それまでの竣工(しゅんこう)部分の取り壊しを必要とするものであったため、彼の帰国後その提案は退けられて、改めてルイ・ルボー、シャルル・ルブラン、クロード・ペローClaude Perrault(1613―88)の3人からなる委員会が東部前面の設計にあたり、1674年に完成された。東部前面のデザインはペローの案により、イタリアの古典主義にフランス風バロックを加味したもので、ルイ14世をはじめ当時のパリ市民一般に好まれた折衷様式である。下層部は半円形アーチによる窓のあいた簡素な壁体で、その上層部は2本ずつ対をなす列柱が明暗の効果によって力強いリズム感を生み、フランス固有の急傾斜の屋根がイタリア風の緩やかなものにかわっている。1675年からルーブル宮の工事はしばらく中断するが、これはルイ14世の関心がベルサイユ宮の造営に向けられたためであった。
 フランス革命のさなか、ルーブル宮を美術館とすることが決まり、1793年「中央美術館」として開館、ナポレオン1世(在位1804~15)のころには「ナポレオン美術館」と称された時期もあった。ナポレオン1世は1806年、ペルシェCharles Percier(1764―1838)とフォンテーヌに命じて、北側翼屋を拡張してチュイルリー宮(1871年南北両端部を残して焼失)と結び付ける工事にとりかかり、さらにナポレオン3世のもとで、1852年からルイ・ビスコンティLouis Visconti(1791―1853)、その没後の翌年からはエクトル・ルフュエルHector M. Lefuel(1791―1853)が新館の建築主任となって、1857年にようやく工事が完了した。その後、旧ルーブル宮の全部と新ルーブル宮の南半分の大部分がルーブル美術館となっていたが、1981年に大統領ミッテランが「大ルーブル計画」を発表。15年以上に及ぶ整備・改築工事により、展示スペースが倍増され、ルーブル宮全体が美術館として生まれ変わった。なお北側翼屋であるリシュリュー翼の西側部分には装飾美術館、モードと織物美術館が併設されている。[濱谷勝也]

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世界大百科事典内のルーブル宮殿の言及

【宮殿】より

…アルプス以北でも,中世末期からルネサンスにかけて王侯たちは城館を発展させ,政庁としての機能も兼ね備えた大規模な宮殿建築が建設されるようになる。イギリスのハンプトン・コート(1520ころ建設開始),フランスのルーブル宮殿(1546建設開始),フォンテンブロー宮殿(1528建設開始)などが続々と威容を現すが,これらはその後も増改築を繰り返し,それぞれの時代に応じた機能や装飾が加えられた。こうした宮殿の拡張は,王権の拡大にみごとなまでに対応していた。…

【ネオ・バロック様式】より

…フランスでナポレオン3世の第二帝政の出現(1852)とそのパリ改造計画(1853‐70)を契機として起こったバロック建築様式の復興をいう。ビスコンティLudovico Visconti(1791‐1853)とルフュエルHector M.Lefuel(1810‐81)は,ルーブル宮殿新館でイタリア・バロック風の彫塑的な壁面とマンサード屋根を組み合わせ,これは,いわゆる〈第二帝政式〉として流行した。また,C.ガルニエのオペラ座(1861‐74)はその豪華壮麗さで世界を驚かせ,当時帝国主義的競争の渦中にあった先進諸国は,ネオ・バロック様式こそ国家の威信を最もよく表現する建築様式とみなして,いっせいに採用するようになった。…

【ルーブル美術館】より

…パリのセーヌ川右岸,ルーブル宮殿内に設置されたフランス国立美術館。《ミロのビーナス》《モナ・リザ》をはじめ広く知られた名作を数多く収集・展示する世界最大級の美術博物館の一つ。…

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