ル・ボー(その他表記)Le Vau, Louis

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ル・ボー」の意味・わかりやすい解説

ル・ボー
Le Vau, Louis

[生]1612. パリ
[没]1670.10.11. パリ
フランス建築家,フランス・バロック様式創始者。若い頃はパリで邸館の建築に携わり,都市邸宅の代表的作品オテル・ランベール (1639~44) を設計。 1654年 J.ルメルシエ後任として宮廷建築家となった。代表作はボー・ル・ビコント城 (1657~61) で,C.ル・ブラン室内装飾担当,また外観を引き立てるバロック的な大庭園は A.ル・ノートルによるものであった。この設計は,彼の名を高めたのみならず,その壮麗さに感動したルイ 14世により,のちにベルサイユ宮殿の設計を命じられることにもなった (→ルイ 14世様式 ) 。 1664年,王室建築総監に就任ルーブル宮殿チュイルリー宮殿の計画に関与。 1668年よりル・ブランとともに,ベルサイユ宮殿の第2次増築に従事。このほか,コレージュ・デ・カトル・ナシオン (1661) がある。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ル・ボー」の意味・わかりやすい解説

ルボー
るぼー
Louis Le Vau
(1612―1670)

フランスの建築家。父親のもとで修業したのち、パリ市内外で多くの邸館(オテル)や城館シャトー)の設計に従事しながら、ルイ14世様式ともよばれる斬新(ざんしん)なバロック的作風の基礎を確立していった。1644年完成のオテル・ランベールは初期の傑作であるが、そのほかオテル・エスランやル・ランシーのシャトーなどは同時代のフランス建築の傑作とされ、代表作ボー・ル・ビコントのシャトー(1656~61)を予告するものであった。ルイ14世の財務長官フーケから委嘱された豪奢(ごうしゃ)なこのシャトーは、やがてフーケ失脚の要因となった。彼は54年から王室首席建築家に任じられ、ルーブル宮殿のアポロンの間(1661~63)と東部前面(ペローと共作、1667)を設計し、またベルサイユ宮殿ではルイ13世時代のシャトー内の改修(1661)および拡張(1669)を担当して、この大建築の基本的構成を設定した。

[濱谷勝也]

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改訂新版 世界大百科事典 「ル・ボー」の意味・わかりやすい解説

ル・ボー
Louis Le Vau
生没年:1612-70

フランス,ルイ14世時代の代表的建築家。パリの投機的建設業者から身を興し,都市住宅や城館建築に斬新な着想を盛りこんで注目されるようになる。画家ル・ブラン,庭園設計家ル・ノートルらと共同したボー・ル・ビコントの城館(1657)は,フランス城館建築中の白眉とされる。1654年ルメルシエの後を継いで王室主席建築家となり,ル・ブラン,ル・ノートルらを率い,ルーブル宮殿拡張計画(1661以降),ベルサイユ宮殿全体計画(1669以降)などを指揮。作風は,ライバルF.マンサールの堅実な古典主義に対し,粗放ともいえる自由さで,豪壮な舞台装置的効果を好んだ。この時代としてはローマ・バロックに最も近づいたフランス人建築家とされる。
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百科事典マイペディア 「ル・ボー」の意味・わかりやすい解説

ル・ボー

フランスの建築家。F.マンサールとともに17世紀フランスを代表する建築家で,パリのオテル・ランベールやボー・ル・ビコントの城館(庭園をル・ノートルが,室内装飾をル・ブランが担当)などを手がけた。1661年ルイ14世の首席建築家に任ぜられ,ルーブル宮殿やベルサイユ宮殿の建設に参加。
→関連項目マンサール

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