レーデラー(読み)れーでらー(その他表記)Emil Lederer

日本大百科全書(ニッポニカ) 「レーデラー」の意味・わかりやすい解説

レーデラー
れーでらー
Emil Lederer
(1882―1939)

ドイツの経済学者。ウィーン大学ベルリン大学に学び、1910年以降、マックスウェーバーやW・ゾンバルトとともに『社会科学および社会政策紀要』の編集に従事し、20年にはハイデルベルク大学教授となった。23~25年(大正12~14)には来日して東京帝国大学で教壇に立ち、帰国後はベルリン大学教授になったが、ナチス政権樹立後はアメリカに亡命し、ニューヨーク政治学社会学学院に勤め、アメリカで没した。彼はベーム・バベルクなどオーストリア学派の影響を受けながら、古典派経済学やマルクス経済学にも造詣(ぞうけい)が深く、景気変動理論では、経済構造の変化を軸に景気変動を説明する構造変動説を展開した。そのほかには技術進歩と失業に関する研究もあるが、彼はまた新カント派哲学や社会学にも深い理解を示し、ことに大衆社会の研究には優れたものがあった。主要な著作としては『景気変動と恐慌』(1925)、『理論経済学概要』(1931)、『技術進歩と失業』(1931)などがある。

志田 明]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「レーデラー」の意味・わかりやすい解説

レーデラー
Lederer, Emil

[生]1882.7.2. ピルゼン
[没]1939.5.29. ニューヨーク
ドイツの経済学者。ウィーン大学卒業後,ベルリン大学に学ぶ。第1次世界大戦前,M.ウェーバー,W.ゾンバルトなどと『社会科学ならびに社会政策紀要』 Archiv für Sozialwissenschaft und Sozialpolitikの編集に従事,その後ハイデルベルク大学教授を経て,1923~25年東京帝国大学教授。帰国後ベルリン大学教授に就任したが,ナチス政権が樹立されたためアメリカに亡命,33~39年ニューヨークの政治社会学学院で講義。当時のドイツ理論経済学を代表する学者であり,構造変動論と呼ばれる景気変動論を主張したほか,一般理論,失業などの問題にもすぐれた研究がある。主著『理論経済学概要』 Aufriß der ökonomischen Theorie (1931) ,『景気変動と恐慌』 Konjunktur und Krisen (25) 。

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朝日日本歴史人物事典 「レーデラー」の解説

レーデラー

没年:1939.5.29(1939.5.29)
生年:1882.7.22
東京帝大経済学部で「経済学」を担当した外国人教師。ドイツ人。在任期間は大正12(1923)年度と13年度。大正13年度は社会学も講じる。理論的にはマルクス経済学に立脚しつつ,限界効用学説にも接近した。政治と経済の関連を視野にいれた幅広い学風で知られ,また有沢広巳,大森義太郎,高橋正雄らに大きな影響を与えた。ドイツ帰国後の著書に《Japan‐Europa》《Japan in transition》などの日本論がある。その後は社会民主党の理論的指導者として活躍した。<参考文献>玉野井芳郎『日本の経済学』,『東京大学百年史 部局史1』

(藤井隆至)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「レーデラー」の解説

レーデラー Lederer, Emil

1882-1939 ドイツの経済学者。
1882年7月22日ボヘミア生まれ。ハイデルベルク大教授をへて大正12年(1923)東京帝大の招きで来日し,経済学部で2年間おしえる。帰国後ベルリン大教授となったが,ナチスに追われアメリカに亡命した。1939年5月29日死去。56歳。ウィーン大卒。

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367日誕生日大事典 「レーデラー」の解説

レーデラー

生年月日:1882年7月2日
ドイツの経済学者
1939年没

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