翻訳|Lloyd's
ロンドンの個人の保険引受人の集団。17世紀末からの歴史をもつ。イギリス保険市場の起源をなし,現在においては,イギリスだけでなく,世界保険市場における強力な保険引受集団となっている。
17世紀ころの海上保険は,金融業者や貿易業者等の商人の副業として営まれていた。また,当時の航海はきわめて危険の多い冒険であり,また通信手段も未発達であったから,船舶運航の情報の入手は容易なことではなかった。当時ロンドンのタワー街にあったロイドEdward Lloyd(1648ころ-1713)の経営するコーヒー店は,海運業者や海上保険引受人のたまり場となっていたが,店主のロイドは客の便宜のため,海運に関するニュースを集めたり,船舶の売買や積荷取引の周旋を行ったので,その店は大いに栄えた。1691年ロイド・コーヒー店は,ロンドンの商業金融の中心ロンバード街に移ったが,そのころまでに保険の引受けを専門の職業としていた保険引受人は,みなここを取引の場所にしたので,18世紀半ばころには,ロイズは海上保険の中心市場としての地位を確立した。こうしてロイズはコーヒー店から保険引受人の集団として発展し,1774年には王立取引所Royal Exchangeの建物に事務所を移した。1871年には議会の特別立法である〈ロイズ・アクト1871 Lloyd's Act 1871〉により,コーポレーション・オブ・ロイズCorporation of Lloyd'sと名乗る法人となった。1928年にはレデンホール街へ,57年にはライム街へと本拠を移したが,現在,再度本拠をレデンホール街に移した。
1996年現在,ロイズは約1万3000人の会員から成っており,一人一人が危険の独立した引受手である。そのほとんどは保険の専門知識をもたない一般の富裕市民層であり,たとえば国会議員,銀行家,弁護士,芸能人,プロ・スポーツ選手等が含まれている。会員は個人であることを要し,従来イギリス人男性に限定されていたが,引受能力増大のため,1969年に外国人男性に,翌70年には女性にも会員資格が与えられるようになった。会員は数人から数十人のグループとなってシンジケートを形成し,引受代理店managing agentを選定して保険の引受関係業務を行わせている。
シンジケートを構成する会員は,法律上保険契約の当事者であり,その損益の負担者であるが,実際の保険引受業務には携わらないので,通称ネームnameと呼ばれている。一方,引受代理店は,シンジケートのためにアンダーライターunderwriter(保険引受けの専門家)を雇用して,実際の保険の引受けを行わせる。アンダーライターは構成会員から業務執行に関していっさい命令や束縛を受けず,自分の判断だけで引受けを行うので,シンジケートの運命はもっぱら彼の能力にかかっているといえる。したがって,名声のあるアンダーライターを擁するシンジケートにはネームとしての加入を希望する会員が多いが,シンジケートを無制限に大きくするわけにはいかないので,ときには同一のアンダーライターがいくつかのシンジケートを受けもつことがある。アンダーライターの多くはロイズ会員でもあり,他のシンジケートの構成員に名を連ねていることもある。引受代理店は,後述のロイズ・ブローカーによって所有されていることが多く,一方ロイズ会員がブローカー会社の役職員を兼ねていることもある。このようにロイズでは,保険者側である会員や引受代理店とアンダーライターと被保険者側の利益代表たるブローカーとが交錯し,きわめて複雑な組織となっているが,最近その弊害が指摘され,この両者を分離するためにブローカーが引受代理店を売却することを義務づけることが検討されている。ロイズ会員の保険契約上の責任は独立しており,おのおの自己の引受分に対してしか責任を負わない。また法人たるロイズはもちろん,シンジケートが一体となって責任を負うことはない。したがって会員は,自己の資産と信用だけで保険の引受けに当たるわけであり,そのため会員になるには厳格な資格要件を要求されている。すなわち会員2人の推薦とともに,一定額以上の資産力とロイズの名誉を傷つけない公明正大なる人格を有することが要求される。コーポレーション・オブ・ロイズの仕事およびロイズの業務全般の監督は,全会員から選出された16人で構成されるロイズ委員会と,これを含む28人のロイズ評議会が行うが,保険の引受方針や条件・料率の決定等には干渉しない。
ロイズは被保険者との直接交渉による保険の引受けは行わず,必ずロイズ指定のブローカー(ロイズ・ブローカー)を通して行う。料率はもっぱらアンダーライターの経験と知識によって決定される。保険金額が大きい場合,ブローカーは全額の引受けが完了するまで,いくつかのシンジケートを歩かねばならない。各引受人にはそれぞれ得意の分野があり,2番目以降のアンダーライターは,その分野の権威あるアンダーライター(通常リーディング・アンダーライターまたはリーダーと呼ばれる)の決定した条件・料率に従うので,ブローカーにとって初めのアンダーライターの選択は重要である。引受完了後の保険証券作成はブローカーが行うことが多いが,保険証券への署名は一括してロイズ証券サイニング・オフィスが行う。ロイズ海上保険証券は200年以上の歴史をもち,世界の海上保険の基本様式となっていたが,近年この様式の変更が行われた。損害が発生した場合は,ブローカーが被保険者に代わって損失金支払の請求を行う。アンダーライターはおのおの独立に支払請求を承認または否認する権利をもつが,多くの場合,リーダーの決定に従う。損害の査定と支払はアンダーライターが行うが,実務はロイズ内の査定専門部門やロイズが任命した世界の主要都市所在の損害査定の専門家(ロイズ・クレーム・エージェント)に代行させることが多い。ロイズの営業量は1982年の統計で年間保険料約28億4000万ポンドにのぼり,イギリス保険市場のほぼ1/5を占めているが,海上・航空保険についてはイギリスの全会社の合計よりもはるかに大きい営業量を誇っている。ロイズの会員は,供託金や収入保険料の信託を要求されるほか,各会員は全私財をあげて無限責任を負わねばならず,さらに通常の準備金の手当てに加え,保険料信託基金や中央基金等の制度によって手厚い安全措置が講ぜられている。
1980年代後半から欧米を襲った大規模なハリケーンなどの自然災害やオイル・タンカー事故(1989年のエクソン・バルディス号事故など),アメリカでのアスベスト被害賠償訴訟などの影響で巨額の保険金支払いを迫られたロイズは,88年から92年まで連続して大幅な赤字に転落し,累積赤字は80億ポンド(約1兆3600億円)に達した。このため92年には約2万2000人いた会員数も96年には約1万3000人に減少,抜本的な再建策に取り組んでいる。
執筆者:高木 秀卓
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
イギリス独特の保険機構で、世界保険市場におけるもっとも強力な個人保険業者の集団。17世紀末ごろロンドンのエドワード・ロイドEdward Lloyd(1648―1713)経営のコーヒー店には船主、荷主、海上保険者など海事関係者が集まり、そこで海上保険取引が盛んに行われていたが、1713年にロイドが死亡してのち、そこに出入りしていた個人保険業者たちがつくったグループがロイズである。1769年にコーヒー店から独立した新ロイズが結成され、現代のロイズの始まりとなった。新ロイズは1871年にコーポレーション・オブ・ロイズCorporation of Lloyd,sという法人に組織を改めた。その後海上保険以外の保険分野にも活動領域を広げ、今日では世界保険市場の中心となっている。
保険引受けはロイズの会員たる個人保険業者が行い、ロイズ法人自身は契約引受けには関係しない。法人は会員に取引を行う場所を提供するほか、損害査定や情報の収集・伝達などのサービスを提供し、会員の利益に奉仕している。会員たる個人保険業者は大小いくつかのシンジケートを結成し、各シンジケートごとに保険引受代理人underwriting agentを置き、保険業務全般を彼に委託し、自分自身は単に保険証券に名を連ねるネームnameとしての地位にたつ。保険引受代理人の引受業務は、直接顧客と交渉して行われるのではなく、ロイズに出入りする資格をもつロイズ・ブローカーがもたらす契約を引き受ける。しかし、保険引受代理人は保険契約の当事者として保険証券に署名するのではなく、それはあくまでネームとしての個人保険業者が行う。そして、個人保険業者は、シンジケートの構成メンバーとして、それに結合しているとはいえ、自分自身の引受分に対して無限責任を負うだけで、他のメンバーと連帯して自分以外の引受分の責任を負うことはない。これが、いわゆる個人責任の原則であり、ロイズ創成期より今日に至るまで伝統的に守られてきたもっとも重要な原則、すなわち独立責任制と無限責任制である。
[金子卓治]
『木村栄一著『ロイズ・オブ・ロンドン――知られざる世界最大の保険市場』(1985・日本経済新聞社)』
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…その後海上保険はエリザベス1世の手によってイギリス人の経営に移され,やがてイギリスの海外発展とともにその海上保険も著しい発展をとげ,現在もロンドンは世界の海上保険の中心地となっている。ロンドンでは,会社組織の保険とともにロイズ組合の保険業者の保険が行われている。ロイズLloyd’sは強大な組織をもち,あらゆる種類の保険を引き受けているが,その発端は17世紀の後半ころエドワード・ロイドが経営していたコーヒーハウスであった。…
…パリでもロンドンでも,初期の新聞は喫茶店でだれかが読みあげるのを〈聞く〉ものであったし,南海泡沫事件(1720)に至る異常な株式ブームの舞台もコーヒー・ハウスであった。世界の海運情報を独占し,大英帝国を支えたロイズ海上保険会社もコーヒー・ハウスから出発した。喫茶店はまた,反体制派のたまり場となることが多かったので,17,18世紀にはイギリスでもフランスでも,営業時間や内部での談論内容の規制が試みられた。…
…17世紀後半,テムズ河畔に開かれたロイドEdward Lloydのコーヒー店には,多くの船主,荷主,海上保険者等,海事関係者が情報を求めて集まるようになり,しだいに海上保険取引が盛んに行われるようになった。このコーヒー店に出入りして個人責任で保険引受けを行っていた人々が,その後保険引受けグループを形成するようになり,1688年ころロイズが発足した。
[火災保険]
1666年のロンドン大火を契機に,医師であり建築業者であったバーボンNicholas Barbon(1640ころ‐98)がファイア・オフィスFire Officeを設立して火災保険の営業を始めた。…
※「ロイズ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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