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ロイド・ジョージ David Lloyd George,1st Earl of Dufor

世界大百科事典 第2版の解説

ロイド・ジョージ【David Lloyd George,1st Earl of Dufor】

1863‐1945
イギリスの自由党政治家。父はウェールズ出身,ユニテリアン派の学校教師であったが1864年死亡。靴屋でバプティスト派牧師の叔父に養育され,84年弁護士試験に合格して開業,非国教主義とウェールズ民族主義の立場をとって活躍し,名声を博した。90年下院に入り,南ア戦争の際には,時の植民相J.チェンバレンの帝国主義政策を激しく攻撃するなど,自由党急進派の雄弁な闘士として知られた。1905年キャンベル・バナマン内閣に商務院総裁,08年アスキス内閣に蔵相として入閣。

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について 情報

世界大百科事典内のロイド・ジョージの言及

【国家総動員】より

…交戦各国ではとりわけ戦争3年目に国家総動員体制が確立した。イギリスでは自由党左派の蔵相ロイド・ジョージが労働組合の協力をとりつけて軍需生産を拡大し初代軍需相となっていたが,1916年11月には首相に任命され,労働代表を含む5大臣で戦時内閣を組織して強力な戦争指導をはかり,ハンキーMaurice Hankeyの指揮する内閣官房が能率的な事務処理にあたった。新設の船舶,労働,食糧,国民兵役の諸省の大臣などには実業家が大幅に起用された。…

【第1次世界大戦】より

…たとえばドイツでは,重工業界の第一人者であったAEG社長W.ラーテナウが陸軍省に新設された戦時資源局の長官に就任し,原料の確保と軍需物資の徴発をはじめとする総力戦体制の確立のために尽力した。イギリスでは軍需生産の再編成に努めたD.ロイド・ジョージの功績が顕著で,1916年12月4日以後みずから首相となって戦争を指導したが,英仏両国では社会主義者も政府の一員に加わって総力戦に協力した。さらに英仏両国は被支配民族をも,利益を保障する密約を結んで戦争に動員した。…

【ベルサイユ体制】より

…しかも,〈五大国〉のうち日本はほとんど発言せず,イタリアは途中で代表のV.E.オルランドが帰国してしまうというようなことで,事実上,日伊両国は脱落してしまう。実質的には,アメリカ大統領ウィルソン,イギリス首相ロイド・ジョージ,フランス首相クレマンソーという〈3巨頭Big Three〉によって会議が運営されるようになった。そこで,この3巨頭それぞれの立場が問題となる。…

※「ロイド・ジョージ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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