ロックヒル(英語表記)Rockhill, William Woodville

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「ロックヒル」の解説

ロックヒル
Rockhill, William Woodville

[生]1854.4.1. フィラデルフィア
[没]1914.12.8. ホノルル
アメリカの東洋学者,外交官。フランス陸軍勤務後,アメリカ外交官となり,北京,朝鮮に勤務 (1884~87) 。 1888~89,91年の2回チベットを調査旅行。帰国後国務省に入り,国務次官となった (96~97) 。ギリシア,ルーマニア,セルビアの公使を経て,国際米州局長官に就任,門戸開放宣言 (→門戸開放政策 ) の立案,起草者となった。義和団事変処理全権委員に任じられ,1905~09年北京駐在公使,のちロシア公使に転出。 11~13年トルコ大使,14年袁世凱 (えんせいがい) に政治顧問として招かれる途中死亡。著書『仏陀の生涯および初期仏教史』 The Life of the Buddha and the Early History of his Order (1884) ,『モンゴリア,チベット旅行日誌 (1891~92) 』 Diary of a Journey through Mongolia and Tibet in1891~92 (94) ,『ウィリアム・ルブルクの旅行記』 The Journey of William of Rubruck to the Eastern Parts of the World,1253~55,as narrated by himself,with two Accounts of the earlier Journey of John of Pian de Carpine (1930) 。

ロックヒル
Rock Hill

アメリカ合衆国,サウスカロライナ州北部の都市。ノースカロライナ州境付近にあり,1851年にシャーロット・サウスカロライナ鉄道の出張所として発足。南北戦争中は南軍人員および物資の輸送中継地になった。 67年に紡績工場ができ,発展契機となった。現在も繊維工業を中心に,パルプ製造などが行われる。人口4万 1643 (1990) 。

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日本大百科全書(ニッポニカ)「ロックヒル」の解説

ロックヒル
ろっくひる
William Woodville Rockhill
(1854―1914)

アメリカの外交官、東洋学者。駐北京(ペキン)、ソウル公使館勤務(1884~87)を皮切りに、駐ギリシア、ルーマニア、セルビア公使、アメリカ諸国国際事務局長、駐中国公使、駐ロシア、トルコ大使などを歴任。この間中国、モンゴル、チベットの学術探検(1888~89、1891~92)を行い、またヘイの要請で門戸開放通牒(つうちょう)を起草(1899)、義和団事件では特使として北京に赴き問題解決に努めた。

[高橋 

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367日誕生日大事典「ロックヒル」の解説

ロックヒル

生年月日:1854年4月1日
アメリカの東洋学者,外交官
1914年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典 第2版「ロックヒル」の解説

ロックヒル【William Woodville Rockhill】

1854‐1914
フィラデルフィア生れのアメリカ外交官,東洋学者。1884年(光緒10)北京に着任,87,91年にチベット入国を試み,その日記を公刊した(1895)。チベット史を《The life of Buddha》のなかにまとめ,清朝とダライ・ラマ政権の関係を述べた優れた論文を《通報》(1910)に載せたほか,漢文史料による《衛蔵図識》の訳注(1891)を示してチベット学に大きな貢献をした。【山口 瑞鳳

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