ロラン(読み)ろらん(英語表記)Romain Rolland

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ロラン(Romain Rolland)
ろらん
Romain Rolland
(1866―1944)

フランスの小説家、劇作家、評論家。1月29日、ブルゴーニュ地方クラムシーの豊かな共和派の公証人の家に生まれる。1880年、一家はロマンの教育のためパリに移る。ルイ・ル・グラン高等中学校(リセ)を経て、高等師範学校(エコール・ノルマル・シュペリュール)を卒業。学生時代、シェークスピア、ベートーベン、スピノザに傾倒、とくにトルストイには手紙まで書き、その返事にみられた人類愛を説く思想に深い感銘を受ける。1889年歴史学教授資格を取得、2年間ローマに留学し、古文書の調査にあたる。他方、ルネサンス期のイタリアに触れるとともに、ニーチェやワーグナーと交友のあったドイツの老婦人マルビーダ・フォン・マイゼンブークMalwida von Meysenbugを知り、理想を貫く偉人の魂を教えられる。[中條 忍]

理想像を求めて

帰国後、1892年にクロチルド・ブレアルClotilde Bralと結婚、しかし8年余で離婚。1895年『近代叙情劇の起源』(主論文)で文学博士となり、母校とパリ大学でおもに音楽史を担当(1904~1912)。演劇誌、音楽誌の編集にも参加、このころから創作を始める。当初から社会主義、革命主義に関心を寄せるが、その基底をなすものは激しく燃える人類愛。のちに「信仰の悲劇」としてまとめられる『聖王ルイ』(1897)、『アエルト』(1898)には、すでにこの特色がみられる。「革命劇」に収録される『狼(おおかみ)』(1898)、『ダントン』(1900)、『7月14日』(1902)も同様の特色をもつ。1903年、『民衆演劇論』を世に問い、今日の国立民衆劇場(TNP(テーエヌペー))への道を開いた。このころ、ペギーの『半月手帖(はんげつてちょう)Cahier de la Quinzaine誌に関係、息詰まる世界に英雄たちの息吹を吹き込もうと、『ベートーベンの生涯』(1903)を同誌に発表、このあと一連の英雄伝『ミケランジェロの生涯』(1906)、『トルストイの生涯』(1911)が続く。『ありし日の音楽家たち』(1908)、『ヘンデル』(1910)もこのころの作品。1904年以来『半月手帖』誌に書き続けてきた大河小説roman-fleuve『ジャン・クリストフ』を1912年10月に全巻脱稿、翌1913年にアカデミー文学大賞を受ける。この作品を博愛・自由・独立を求める1人の男の生成史とすれば、未婚の母を主人公にした中期の大河小説『魅せられたる魂』(1922~1933)はその女性版といえる。[中條 忍]

闘争の歳月

1914年、スイス旅行中第一次世界大戦勃発(ぼっぱつ)にあい、ドイツに対する憎悪の感情と偏狭な愛国主義の旋風のさなか、絶対平和主義の立場を堅持、そのため親独的との非難を浴び、スイスに亡命、ジュネーブの国際赤十字捕虜情報局で働き、反戦を呼びかける。1916年、前年のノーベル文学賞を授与されるが、賞金を国際赤十字などに寄付。「理解と愛」を標榜(ひょうぼう)する平和主義の理念を、論文集『戦乱を越えて』(1915)、『先駆者たち』(1919)、反戦小説『クレランボー』(1920)、『ピエールとリュース』(1920)などに結実させる。一方、反戦風刺劇『リリュウ』(1919)、陽気な田園小説『コラ・ブルニョン』(1919)を発表、ロランの別な一面をのぞかせる。
 1922年からスイスに定住、ロシア革命とインドの神秘思想、無抵抗主義へ傾斜を強める。その軌跡は、自由と平等に関するバルビュスとの論争、「ヨーロッパという祖国」を理想とする雑誌『ヨーロッパ』(1922創刊)への協力、ガンディー、タゴール、ネルーらとの交友のほか、『マハトマ・ガンジー』(1923)、『ラーマクリシュナの生涯』(1929)、『ビベーカーナンダの生涯』(1930)などの作品を通してたどることができる。この間、「革命劇」の系列に入る『愛と死との戯れ』(1925)、『獅子(しし)座の流星群』(1928)、『ロベスピエール』(1939)を執筆。そのかたわら、反ファシズム運動を展開。アムステルダム国際大会議長、国際反ファシスト委員会名誉総裁を務め、1936年にはスペイン人民戦線への共感を示す。1933年、同年発足したヒトラー内閣から贈られたドイツのゲーテ賞を頑として拒否。1935年には当時のソ連を訪問、同年『闘争の15年』『革命によって平和を』を刊行している。しかし、あくまで共産主義のシンパにとどまり、党員にはならなかった。[中條 忍]

内省の地ベズレー

私生活では10年来親交のあった亡命ロシア婦人マリMarieと1934年に再婚、1938年故郷に近いベズレーに移る。この隠棲(いんせい)の地で、一連のベートーベン研究、つまり既刊の『エロイカからアパショナータまで』(1928)、『ゲーテとベートーベン』(1930)、『復活の歌』(1937)に加え、『第九交響楽』(1943)、『最後の四重奏』(1943)、さらに死後出版の『劇ハ終ワリヌ』(1945)、『ベートーベンの恋人たち』(1949)を執筆。1944年、ヨーロッパの良心のために闘い第一次世界大戦で戦死した盟友の伝記『ペギー』の校正を病床で終える。その印刷が終わったのを知り同年12月30日ベズレーで永眠。理想を貫くために闘い通したロランの思想と生涯は『内面の旅路』(1942)をはじめとする日記、書簡、回想録などによって明らかにされつつある。[中條 忍]
『片山敏彦・宮本正清他訳『ロマン・ロラン全集』第三次・全43巻(1979~85・みすず書房) ▽蛯原徳夫著『ロマン・ロラン研究』(1967・アポロン社) ▽新村猛著『ロマン・ロラン』(岩波新書) ▽S・ツワイク著、大久保和郎訳『ロマン・ロラン』上下(1951・慶友社)』

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