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トルストイ トルストイTolstoi, Aleksei Konstantinovich

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

トルストイ
トルストイ
Tolstoi, Aleksei Konstantinovich

[生]1817.9.5. ペテルブルグ
[没]1875.10.10. クラスヌイログ
ロシアの小説家,劇作家,詩人。伯爵家の生れで,L.トルストイの遠い親戚にあたる。思想的には保守的ながらも,『ロシア国史』 Istoriya gosudarstva Rossiiskogo (1868) ,『ポポフの夢』 Son Popova (73) など腐敗した官僚制を風刺した詩や,歴史悲劇の3部作『イワン雷帝の死』 Smert' Ioanna Groznogo (66) ,『皇帝フョードル・ヨアーノビチ』 Tsar' Fëdor Ioannovich (68) ,『皇帝ボリース』 Tsar' Boris (70) などを残した。

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トルストイ
トルストイ
Tolstoi, Aleksei Nikolaevich

[生]1883.1.10. ニコラエフスク
[没]1945.2.23. モスクワ
ソ連の小説家。伯爵家に生れ,初め象徴主義的な詩を書いていたが,次第に 19世紀の写実主義の伝統に立戻り,『びっこの旦那』 Khromoi barin (1912) などの長編により小説家としての地位を確立。

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トルストイ
トルストイ
Tolstoi, Dmitrii Andreevich

[生]1823.3.13. モスクワ
[没]1889.5.7. ペテルブルグ
ロシアの政治家。伯爵。 1865~80年宗務院長としてロシア正教会を監督するとともに,非国教徒たる分離派に対してきびしい政策をとった。 66年より文相に就任し,大学の自治を制限したり,古典ギムナジウムを創設して,教育における反動政策を推進。

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トルストイ
トルストイ
Tolstoi, Lev Nikolaevich

[生]1828.9.9. トゥーラヤースナヤポリャーナ
[没]1910.11.20. アスターポボ
ロシアの小説家。伯爵家に生れ,幼くして両親を失った。 1847年カザン大学中退。故郷に帰り,農民の生活改革を試みたが失敗。 51年カフカズで軍務についていた兄のもとに行き,美しい自然のなかで文学に開眼し,自伝3部作の『幼年時代』 Detstvo (1852) ,『少年時代』 Otrochestvo (54) ,『青年時代』 Yunost' (57) で新進作家としての地位を確立した。

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トルストイ
トルストイ
Tolstoi(Tolstaya), Sonya(Sofia) Andreevna

[生]1844
[没]1919
ロシアの文豪 L. V.トルストイの妻。モスクワの医者ベルスの娘として生れ,1862年結婚。最初の 15年間は夫の手助けをし,13人もの子供をもうけて仲むつまじかったが,夫が文学から離れて宗教や社会活動に専念するようになると不和になり,たびたび別居した。

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デジタル大辞泉の解説

トルストイ(Aleksey Konstantinovich Tolstoy)

[1817~1875]ロシアの詩人・小説家・劇作家。ロシア象徴派の祖と目され、叙情詩のほかに、多彩なジャンルで活躍した。歴史小説「白銀公爵」、史劇「皇帝フョードル=イワノビチ」「皇帝ボリス」など。

トルストイ(Aleksey Nikolaevich Tolstoy)

[1883~1945]ロシア・ソ連の小説家。革命後一時亡命。帰国後民族愛に満ちた作品を書いた。作「苦悩の中を行く」「ピョートル一世」など。

トルストイ

Lev Nikolaevich Tolstoy》[1828~1910]ロシアの小説家・思想家。人間の良心とキリスト教的愛を背景に、人道主義的文学を樹立。晩年、放浪の旅に出て、病死。小説「戦争と平和」「アンナ=カレーニナ」「復活」、戯曲「生ける屍」など。大トルストイ。杜翁(とおう)。
中沢臨川によるの評伝。大正2年(1913)刊行。

出典|小学館
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百科事典マイペディアの解説

トルストイ

ロシアの詩人,劇作家。貴族の出身で,いとこのジェムチュジニコフと〈コジマ・プルトコフ〉の偽名で戯文を発表。小説に《白銀公爵》(1863年),戯曲に《皇帝フョードル・ヨアノビチ》(1868年)など。

トルストイ

ロシア,ソ連の作家。貴族の出身。象徴主義詩人として出発,《びっこの公爵》(1912年)などの小説で文名をあげた。革命後亡命,ベルリンで自伝的な《ニキータの幼年時代》(1922年),SF的な《アエリータ》(1923年)を書き,1923年に帰国後は歴史小説《ピョートル1世》(1929年―1945年)と,革命期の知識人の運命を描いた三部作長編《苦悩の中を行く》(1920年―1941年)でソビエト作家の地位を確立した。

トルストイ

ロシアの作家。ドストエフスキーとともに19世紀ロシア文学を代表,トルストイ主義の名で知られる独自の思想家としても大きな影響を残した。伯爵家の四男としてツーラ近くのヤスナヤ・ポリャーナの広大な荘園に生まれ,カザン大学を中退後,軍務について,カフカスで処女作《幼年時代》(1852年)を書きあげ,文壇に認められた。
→関連項目江渡狄嶺ガルボルククラムスコイクロイツェル・ソナタ芸術至上主義菜食主義写実主義人文主義セバストポリ徳冨蘆花馬場孤蝶レオンチエフレーピン

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世界大百科事典 第2版の解説

トルストイ【Aleksei Konstantinovich Tolstoi】

1817‐75
ロシアの小説家,詩人,劇作家。アレクサンドル2世皇太子時代の学友で,ロシア宮廷でも高い位置にあったが,早くから文筆に手を染め,1840年代には幻想小説《吸血鬼》を書き,今日青少年の愛読書となっている歴史小説《白銀公爵》(1861)を書き始めた。50年代にはコジマ・プルトコフの名で,従兄弟のジェムチュジニコフ兄弟と共同して,今日でも評価の高い一連の風刺詩,パロディノンセンス詩を共作した。多才な作家であったが,自然や愛を主題とする抒情詩人として最もよく知られている。

トルストイ【Aleksei Nikolaevich Tolstoi】

1883‐1945
ソ連邦の作家。詩集《空色の河のかなたに》(1908)で出発。十月革命前に《牧童》《女優》(ともに1910)など50余の短編のほか,長編《奇人たち》(1911),ドストエフスキーの影響の強い長編《びっこの公爵》(1912)などを発表して文名を確立した。革命後パリに亡命,短編《ピョートル大帝の1日》(1918),自伝的な中編《ニキータの幼年時代》(1922),SF仕立ての奇抜な小説《アエリータ》(1923)などを書く。

トルストイ【Dmitrii Andreevich Tolstoi】

1823‐89
ロシアの政治家,伯爵。反動的政治で知られる。1850年代まではロシア皇帝ニコライ1世の子コンスタンティン大公を取り巻く自由主義的官僚グループに加わっていたが,60年代初めから〈強力な権力〉をめざすようになる。65‐80年には宗務院長。66年より文相を兼任した。71年学制改革を行い,貴族層のための古典ギムナジウムを復活する。82‐89年内相兼憲兵長官として一連の反動的政策を遂行した。とくに82年の検閲制度の強化,89年の地方主事制施行による中央権力の地方行政に対する支配力強化は有名である。

トルストイ【Lev Nikolaevich Tolstoi】

1828‐1910
ロシアの小説家。伯爵家の四男として,母方ボルコンスキー公爵家の領地だったヤースナヤ・ポリャーナに生まれた。トルストイ家は14世紀にロシアに来たドイツインドリスを祖とし,その子孫にはロシア史に残る人物も多い。母方も名門の家柄で,ロシア建国の祖リューリクとつながりがある。幼くして父母を失い,叔母たちの後見のもとで育てられたが,外国人家庭教師による教育,貴族の社交に必要な趣味・教養を十分に与えられ,富裕な地主貴族として安穏な生活を送れる境遇にあった。

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大辞林 第三版の解説

トルストイ【Tolstoi】

〔Aleksei Konstantinovich T.〕 (1817~1875) ロシアの詩人・小説家・劇作家。歴史上の人物を扱ったロマン主義的な作品が多い。代表作、小説「吸血鬼」「白銀公爵」、史劇三部作「イワン雷帝の死」「皇帝フョードル」「皇帝ボリス」。
〔Aleksei Nikolaevich T.〕 (1883~1945) ソ連の小説家。ロシア帝政末期から文名高く、革命後パリに亡命。帰国後、知識人の運命をたどる三部作「苦悩の中を行く」、長編「ピョートル一世」、戯曲「イワン雷帝」などを書いた。
〔Lev Nikolaevich T.〕 (1828~1910) ロシアの小説家・思想家。著作は一九世紀後半の複雑なロシア社会の実相を描き、リアリズム文学の最高峰とされる。また、人道主義の立場から社会・宗教・人生の問題について生涯煩悶を重ねた求道的・実践的思想家として、国境を越えて多くの信奉者を得た。代表作「戦争と平和」「アンナ=カレーニナ」「イワン=イリイッチの死」「復活」「クロイツェル-ソナタ」、回想の表明「懺悔」、評論「芸術とは何か」。杜翁。

出典|三省堂
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世界大百科事典内のトルストイの言及

【アンナ・カレーニナ】より

…ロシアの小説家レフ・トルストイの長編小説。1875‐77年刊。…

【児童文学】より


[旧ソ連邦]
 かつてロシアでは,A.S.プーシキンが民話に取材して《金のニワトリ》(1834)などを書き,エルショフP.P.Ershovが《せむしの小馬》(1834)を作り,I.A.クルイロフはイソップ風の寓話を,V.M.ガルシンは童話的な寓話を書いたが,いずれも権力に刃向かう声であった。F.K.ソログープは暗い影の多い不思議な小説を作り,L.N.トルストイはおおらかな民話と小品を発表した。革命後の新しい児童文学の父はM.ゴーリキーであったが,彼はとくに子どものものを書かずに,V.V.マヤコーフスキーやS.Ya.マルシャークやK.I.チュコフスキーにその実りをゆずった。…

【ドゥホボル派】より

…そしてロシア中央部からカフカスに強制的に移住させられ,1898年には約7500人がカナダに移住した。なお,かねてドゥホボル派の思想に共鳴していた文豪トルストイが,カナダ移住の費用を援助するため,ひとたび折った筆を再びとり,長編《復活》を書いたことはよく知られている。一部はキプロスに移った。…

【何をなすべきか】より

…この小説はロシアの幾世代もの青年たちを育てることになった。 1882年,トルストイは国勢調査の調査員としてモスクワの貧民街を訪れ,そこでの観察から始まる自分の思想の一大転換を《さらばわれら何をなすべきかTak chto zhe nam delat’》に書いた。これは86年に脱稿される。…

【非戦論】より

…そして,04年8月第二インターナショナル第6回大会に出席した片山潜とロシア代表プレハーノフは反戦を誓いあって握手を交わした。 また,トルストイが《ロンドン・タイムズ》(1904年6月27日)に寄稿した非戦論,《爾曹悔改めよ》は《平民新聞》(1904年8月7日)に〈トルストイ翁の日露戦争論〉として全文訳載され,日本国内でも大きな反響を呼んだ。《平民新聞》は次号の社説に,トルストイの個人主義的非戦論に対する社会主義的立場における非戦論との相違を説き,戦争の原因は〈人々真個の宗教を喪失せるが為〉ではなく,〈列国経済的競争の激甚なるに在り〉とした。…

【復活】より

…ロシアの作家L.N.トルストイの長編小説。友人の法律家A.F.コーニから聞いた実話に基づき,1889年《コーニの話Konevskaya povest’》という表題で書き始められた。…

【平和】より

…彼はメキシコとの戦争や奴隷制に反対し,納税を拒否したため投獄されたこともある。ロシアではL.N.トルストイがクリミア戦争以来反戦平和を唱え,日本を含む世界中に影響を与えた。インド独立運動の指導者であったM.K.ガンディーもソローとトルストイの反戦思想を賞賛した。…

【ヤースナヤ・ポリャーナ】より

…ロシア連邦,モスクワの南方約190kmにある,L.N.トルストイの生地。ロシア語で〈明るい森の中の草地〉の意であるが,ヤースナヤは,トネリコの木を意味するヤーセンナヤyasennayaのなまりで,広葉樹を主体とする土地柄をよく現している。…

【唯美主義】より

…ルネサンスの建築家アルベルティは《建築論》の中で,美は部分と部分の調和ある有機的な相互関係である,と規定した。19世紀ロシアの作家L.N.トルストイは,唯美主義を否定しR.ワーグナーやR.シュトラウスを批判した《芸術とは何か》(1898)において,〈ルネサンス時代のカトリック教会の腐敗で信仰が失われた〉とルネサンスを否定したが,これは反唯美主義が本質的には西欧近代の否定に通じることを示している。これをうけて,フランスの悪魔主義の作家ペラダンは《トルストイに応える》を書き,〈美が生み出すのは感情を観念に転化する独自の歓び,つまり抽象的な動きである〉と反論した。…

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