精選版 日本国語大辞典 「ニーチェ」の意味・読み・例文・類語
ニーチェ
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ドイツの詩人、哲学者。ショーペンハウアーの意志哲学を継承する「生の哲学」の旗手であると同時に、キルケゴールと並んで実存哲学の先駆者ともされる。現代の精神状況に関する鋭い分析、徹底した文明批判、つまり「ニヒリズム」の摘発によって、狭義の哲学のみならず、文学を含む現代思想全般に多大な影響を与えた。しかし冷静にみれば、ニーチェの本領は単なる文明批評にではなくて、人間の究極のよりどころ、人間が人間であることに意味をあらしめている超越論的なものを、冥界(めいかい)や死のイメージ、いわゆる「背後世界」的な比喩(ひゆ)にとらわれることなく、根源の生=ディオニソス的なものとして提示した点に求められる。
[山崎庸佑 2015年3月19日]
10月15日、プロイセンのザクセン州のレッケンに、ルター派の牧師の長男として生まれた。14歳のとき、ナウムブルク近郊の名門、プフォルタ学院に転校し、古典文献学の基礎的素養を修得する。1864年、同学院を卒業し、ボン大学に入学するが、1年後ライプツィヒ大学に移り、「文献学研究会」というサークルをつくる。そのころショーペンハウアーの『意志と表象としての世界』(1819)を読み感激する。1868年(24歳)尊敬する音楽家ワーグナーに会う。翌1869年4月、スイスのバーゼル大学の員外教授に招聘(しょうへい)され、のちに文化史家のブルクハルトと交わる。1872年(27歳)『悲劇の誕生』を出版。1878年ワーグナーと絶交、以後その音楽を激しく非難する。この年の冬(34歳)病状悪化し、翌1879年バーゼル大学を辞職し、生涯、病苦と闘いながら、乏しい恩給を頼りに、スイスやイタリアを転々としつつ著作活動を続けることになる。1883~1885年、主著『ツァラトゥストラはこう語った』を書き上げる。1889年1月3日(44歳)イタリアはトリノのカルロ・アルベルト広場で昏倒(こんとう)し、精神錯乱のまま1900年8月25日ワイマールに没す。
[山崎庸佑 2015年3月19日]
ニーチェの思想は、一般に、(1)根源の一者との一体化、始原のザイン(存在)への躍入として示される「ディオニソス的智慧(ちえ)」への信頼、(2)あらゆる理想への信頼と愛着を断ち切り、徹底した懐疑と冷厳な認識の自由に生きる「自由な精神」、最後に、(3)「永劫(えいごう)回帰」の境涯におけるいっさい肯定を説くツァラトゥストラ、以上三つのものによって象徴される三つの時期に区分される。最初の著作『悲劇の誕生』は、もちろん、前述の第一期を代表するものであると同時に、『ツァラトゥストラはこう語った』と並ぶニーチェ生涯の代表作でもある。『悲劇の誕生』が打ち出した決定的な新機軸は「ディオニソス的」なものにあるが、ニーチェによれば、ギリシア悲劇の根底にある芸術衝動には、過剰、陶酔、激情に向かうものと、秩序、明晰(めいせき)、静観、夢想の方向に進むものとの2種類があり、前者は酒神ディオニソスにちなんで「ディオニソス的」と称され、後者は太陽神アポロンにちなんで「アポロン的」とよばれる。音楽や舞踊はディオニソス的であり、造形芸術や叙事詩はアポロン的であるが、これら二つの衝動はギリシア悲劇においてはみごとに結合している。しかし『悲劇の誕生』は、ディオニソス的とアポロン的という2概念を駆使したギリシア悲劇成立に関する文献学上の学術論文であるという以上に、ニーチェ自身の芸術論的な形而上(けいじじょう)学、存在論の表明でもあった。本書の根本意図は、「叙情詩人の“自己”はザイン(存在)の深淵(しんえん)から響いてくるのだ。近代の美学者がいう意味でのその“主観性”は思いこみである」といわれているように、芸術の根源を主観に置く人間中心主義に逆らい、「ディオニソス的」と尊称される始原の一者、根源のザインに求めるところにある。「始原の一者」「根源の存在」「世界の心臓」は時間空間および因果のうちにある経験的事実ではないから、当然それは「現象の機関およびシンボルとしての言語」によって語るべきものではなく、本来はむしろ沈黙すべきもの、あるいは一転して「歌う」べきものである。経験的事実=現象の形式である個体化の原理(時間空間および因果)が越えられるとき、人間の内奥より、また世界そのものの内奥より湧(わ)き出てくる喜悦と恍惚(こうこつ)という性格が「ディオニソス的」なものには付きまとっていたが、過剰ゆえの苦痛であると同時に、「現象のあらゆる転変にもかかわらず不壊なる力をもち、愉悦に満ちたもの」、あらゆる文明の背後にあって不滅なるものという性格を「歌い」上げた根源の生への賛歌が後年の代表作『ツァラトゥストラはこう語った』である。
なお、第二期の懐疑と認識と、第三期の生の再肯定をつなぐ著作として、『悦(よろこ)ばしい知識』(1882)はとくに重要である。1882年から1888年にかけて書きためられた遺稿は、一部『力への意志』に収録されている。
ニーチェは、明治期の日本思想界に多大の影響を与えたが、ハイデッガーが大きく取り上げたことによって、再度日本の哲学者に作用を及ぼしている。
[山崎庸佑 2015年3月19日]
『吉沢伝三郎編『ニーチェ全集』全19冊(ちくま学芸文庫)』▽『氷上英広編『ニーチェ研究』(1952・社会思想研究会出版部)』▽『カルル・レーヴィット著、柴田治三郎訳『ニーチェの哲学』(1960・岩波書店)』▽『山崎庸佑著『人類の知的遺産54 ニーチェ』(1978・講談社)』▽『大石紀一郎・大貫敦子・木前利秋・高橋順一・三島憲一編『ニーチェ事典』(1995/縮刷版・2014・弘文堂)』▽『ホルガー・シュミット著、竹田純郎・鈴木琢真訳『ニーチェ――悲劇的認識の思想』(1996・国文社)』▽『薗田宗人著『ニーチェと言語――詩と思索のあいだ』(1997・創文社)』▽『清水真木著『岐路に立つニーチェ――二つのペシミズムの間で』(1999・法政大学出版局)』▽『内藤可夫著『ニーチェ思想の根柢』(1999・晃洋書房)』▽『マンフレート・リーデル著、恒吉良隆・米澤充・杉谷恭一訳『ニーチェ思想の歪曲――受容をめぐる100年のドラマ』(2000・白水社)』▽『舟越清著『ニーチェの芸術観』(2000・近代文芸社)』▽『リュディガー・ザフランスキー著、山本尤訳『ニーチェ――その思考の伝記』(2001・法政大学出版局)』▽『清水真木著『知の教科書 ニーチェ』(2003・講談社)』▽『山崎庸佑著『生きる根拠の哲学――ニーチェの場合』(第三文明社・レグルス文庫)』
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1844~1900
ドイツの哲学者。生の哲学といわれる。ヨーロッパ文化の退廃はキリスト教の支配によるとし,新しい価値の樹立を主張。そのため,「神は死んだ」と叫び,力への意志,永劫(えいごう)回帰,超人などの思想を説く。主著『ツァラトゥストラはかく語った』など。
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出典 (社)全日本ピアノ指導者協会ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者)について 情報
…厳密な学問的対象把握と詩的想像力の両翼に支えられた彼の方法は,とくに《ホメロス研究》(1884),前古典期抒情詩人の諸研究,エウリピデス《ヘラクレス》注釈(1887),そして《アイスキュロス悲劇作品》校訂(1914)などの,驚嘆すべき実りを結んだ。1870年代,ニーチェの《悲劇の誕生》に対する彼の破壊的な批判攻撃は大スキャンダルを招いたが,彼の学問的展望をいささかも曇らせることはなかった。【久保 正彰】。…
…ニーチェ最晩年の思想を表すものとして有名な用語。〈永遠回帰〉とも言う。…
…ディオゲネス・ラエルティオスの記載した彼の伝記は華やかであり,死者をよみがえらせたとか,神としてあがめられるため火山エトナの火口に身を投げて死んだとかいう話までが伝えられている。ニーチェはこの伝記をもとにしてエンペドクレスを〈医師と魔術師,詩人と雄弁家,神と人,学者と芸術家,政治家と僧侶〉のいずれともきめかねる中間的,活動的人間としている。彼には二つの著作《自然について》と《浄め》があった。…
…ニーチェの用語。〈神は死んだ〉と説いたニーチェにとって,神の死とは単にキリスト教の超克ではなく,ニヒリズムの宣言でもあった。…
… このような近代の身体観に対して,現代では,しだいに反省が起こってきている。ニーチェは近代合理主義の人間観を批判し,〈近代人は身体の重要性を忘れている〉と主張した。彼の考え方は,S.フロイトの深層心理学の先駆である。…
…1880年チューリヒで神学,哲学等の勉強を始めるが,胸を病み,青鞜運動の重要な存在であったマイゼンブーク女史を頼ってローマに移る。女史はワーグナーやニーチェの友人であり,ザロメは彼女を通じて82年ニーチェおよびその友人P.レーとも知り合う。三人には奇妙な三角関係が生じるが,レーと暮らし始めた彼女はニーチェの求愛を退ける。…
…彼はとくに《哲学的断片への後書》(1846)において,客観的真理が人間を生かすのではなく〈主体性内面性が真理である〉と語り,単独者として神の前で主体的に生きる人間を宗教的〈実存〉と呼んだ。ニーチェもまた不断に脱自的であらざるをえない人間を〈力への意志〉に基づく〈超人〉と名づけ,無意味な自己超克を繰り返しているかに思われる運命を肯定することに意味を発見した。〈実存哲学〉の語が定着するのは,第1次大戦後の動向のうちとくに《存在と時間》(1927)に表明されたハイデッガーの哲学を念頭に置いて,これを〈人間疎外の克服を目指す実存哲学〉と呼んだF.ハイネマンの著《哲学の新しい道》(1929)以降であり,ヤスパースがこれを受けて一時期みずから〈実存哲学〉を名のった。…
…彼らは,存在者がそれにふさわしい経験においてあらわに立ち現れていることを根源的真理と見るのであり,これは原初のalētheia的真理概念の復権と見てよい。なお,ニーチェのように〈真理とは,それなくしては特定の種類の生物(人間)が生きることができないような一種の誤謬である〉といった思いきった真理観を提出した哲学者もいる。【木田 元】
【インド】
インドで真理・真実を表す語はさまざまであるが,その代表はタットバ,サティヤである。…
…まずこれを確かめるために,両者の自然観を見てみよう。 ソクラテス以前,つまりニーチェのいわゆる〈ギリシア悲劇時代〉の思想家のほとんどが《自然(フュシス)について》という同じ表題で本を書いたという伝承があるが,そこからも推測されるように,古い時代のギリシア人にとってもっとも基本的な思索の主題は〈自然(フュシスphysis)〉であった。タレスにはじまりアナクサゴラスやデモクリトスにいたる,主としてイオニア文化圏で活躍した〈ソクラテス以前の思想家たち〉を,アリストテレスが〈フュシオロゴイphysiologoi〉ないし〈フュシコイphysikoi〉,つまり〈フュシスを論ずる人たち〉と呼んだのも,そのゆえである。…
…また今日の新宗教運動の多くが,現在の不幸や病気の原因を先祖の霊の祟りの作用であると説明し,その祟りの消除のため先祖供養を勧めているのも,古くからの祟り信仰に基礎をおいたものということができるであろう。 以上述べてきた祟り現象の諸相は,要するに特定の人間の執念や怨念が凝りかたまって呪詛霊となり,それに感染することによって異常現象が発生するというものであるが,これはある意味でニーチェのいう〈ルサンティマン(怨恨感情)〉の発現と類似している。かつてニーチェは,原始キリスト教の成立とフランス革命の発生の心理的動機を,社会の水平化現象をひきおこすルサンティマンによって説明しようとした。…
…ドイツの哲学者ニーチェの著作《ツァラトゥストラ》(1883‐85)の中で,人間にとっての新たな指針(和辻哲郎の用語では〈方向価値〉)として情熱的に説かれた言葉。その熱っぽさが,19世紀末の微温的市民社会と精神的閉塞状況からの脱出を願う青年知識層に広く迎えられた。…
…ドイツの哲学者ニーチェの主著《ツァラトゥストラはこう言ったAlso sprach Zarathustra》(1883‐85)の略称。全4部から成る。…
…ペラギウスの自力的道徳主義はアウグスティヌスによって退けられたが,教会は正統と異端の争いをかかえ,全体としてみて現世的・道徳主義的な罪の理解にとどまらざるをえなかったといえる。これはニーチェがキリスト教の矮小化とみて批判の俎上(そじよう)にのせたことでもある。ユングは,西洋のキリスト教がプラトンの〈エロス〉と対立するあまり,罪理解も対象的なものに縛られていたと指摘するが,これも象徴化の不十分さを指摘したものと解される。…
…また革命的無政府主義の創始者バクーニンはニヒリストたちの党派と手を握って革命を扇動した。 だが現代思想にとって最も重要なのは,ニヒリズムに関するニーチェの思想である。ロシアのニヒリストたちがアレクサンドル2世を暗殺して処刑された年,すなわち1881年の秋の遺稿で,ニーチェはすでに,おそらく彼らの立場を指してニヒリズムという語を用いている(のちのいわゆる〈能動的ニヒリズム〉)。…
…彼は各学期の講義でヨーロッパ哲学史の由緒あるテキストの克明な解釈と根源的な批判を通じて,ますます近代哲学の限界を明らかにし,同時に《存在と時間》の本旨を深化して新しい地盤をたしかめることに努めた。その歩みはのちの多くの論著,なかんずく《ニーチェ》(1961)のうちにたどることができる。 33年ハイデッガーは不本意ながらフライブルク大学総長となり,ナチスの大学再編にもそれなりに荷担せざるをえなかった。…
…18世紀初頭にライプニッツが〈単子論〉を説き,すべての単子(モナド)はそれぞれの視点から,それぞれの表象能力に応じて全世界をおのれのうちに映し出すと主張した。1880年代にニーチェが,すべての存在者の根本性格を〈力への意志〉と見るその最後期の思想においてこの考えを受けつぎ,認識とはけっして客観的な真理の把握などではなく,〈力への意志〉を本質として不断に生成しつつある存在者が,その到達した現段階を確保せんがために,それぞれの力の段階に応じて遠近法的に世界を見る見方にすぎないと主張した。この考えは,20世紀スペインの哲学者オルテガ・イ・ガセットにも受けつがれる。…
…森鷗外がこのハルトマンに共感し,昭和初年に厭世自殺をした芥川竜之介が遺書のなかでマインレンダーの名を挙げていることは有名である。ショーペンハウアーの強い影響下にあった初期のニーチェが,それまで〈清朗闊達〉を本質とすると見られていた古代ギリシア文化の根底に,暗いペシミズムがひそんでいることを見ぬき,《悲劇の誕生》(1872)を書いたこともよく知られていよう。オプティミズム【木田 元】。…
…そして,ロシア革命以来,その無神論は社会主義国家のイデオロギーの重要な柱となっている。 ニーチェは唯物論者ではないが,徹底した無神論者である。ニーチェの無神論は〈神は死んだ〉という命題に集約される。…
…圧制的な支配者に対する大衆の行動や思想には,表面上いかに高貴な倫理性が標榜されていようとも,しばしばこの屈折した怨みの激情ないし復讐欲がこめられている。F.W.ニーチェはキリスト教道徳の核たる〈愛〉はユダヤ教に由来する憎悪,復讐の裏返しの精神的態度にすぎないとし,M.シェーラーはプロレタリアートの革命精神をとり上げ,少数支配者に対する羨望(せんぼう)から生じた多数者(大衆)のルサンティマンの発現であるとして,いずれも大衆側ルサンティマンが結晶したものだと主張した。意識下に抑圧されているいわば〈本音〉を暴露していくこのニーチェらの考え方は,その後深層心理学の発展によって,合理化論ないし防衛機制論として体系化されている。…
…だがワイマールの思想についていえば,それは第1次大戦と革命後に突如出現したのでなく,前世紀の1890年代から世紀末にかけての大衆化状況の中で醸成されていたといえるだろう。 文学と芸術における表現主義,ニーチェの〈神の死〉宣告,フロイトの精神分析,ユングの深層心理学,マッハの感覚要素論は,従来の学問観に強い衝動を与えずにはいなかった。実証主義と歴史主義,さらにそれらを母胎にした社会科学はその基底を問責された。…
…70年,前年の長男ジークフリートの誕生を祝って管弦楽のための《ジークフリート牧歌》を作曲,妻コジマの誕生日に贈った。またこのころからワーグナーは哲学者ニーチェと親しくなり,ニーチェはその著作《悲劇の誕生》などにおいて楽匠に対する敬愛の思いを披瀝したが,のち種々の理由からこの二人は反目するようになった。 ワーグナーはかねてから自己の楽劇上演のために劇場を建設することを意図していたが,76年バイエルンの小都バイロイトに劇場が完成し,そのこけら落しには,大規模な楽劇《ニーベルングの指環》全曲(1854‐74)が上演され,全ヨーロッパから名士たちが集まり盛況をきわめた。…
※「ニーチェ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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