タゴール(英語表記)Tagore, Dwarkanath

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

タゴール
Tagore, Dwarkanath

[生]1794
[没]1846.4.1.
インドの近代企業の最初の経営者。デーベンドラナートの父,ラビーンドラナート・タゴールの祖父。ベンガル東部のジェショールの出身。イギリス東インド会社の属吏をつとめるかたわら,カルカッタで事業を興した。 1834年退職後,銀行,商業,製糖,石炭,水運,船舶修理の広範な経営を行い,インド企業者の最初の成功者となり,巨万の富を築いた。教育,慈善事業に尽し,カルカッタのプリンスと呼ばれた。ラーム・モーハン・ローイの親友として,彼の社会改革・宗教改革運動に協力し,ブラーフマ・サマージの創設者の一人となり,ローイの死後,彼の跡を継いだ。 42年と 45年に2度イギリスに旅行し,2度目の旅行中イギリスで客死した。

タゴール
Ṭhākur(Tagore), Rabīndranāth

[生]1861.5.7. カルカッタ
[没]1941.8.7. カルカッタ
インドの詩人,哲学者,劇作家,作曲家。一般に英語なまり名によってタゴールといわれている。カルカッタの名門の出身で,インドの伝統的教育を受けるとともに,1877年イギリスに留学し,法律を学んだ。帰国後詩作に専念し,民族主義を高揚した。代表的な詩集『ギーターンジャリ』で東洋人として最初のノーベル文学賞を 1913年に受賞。また 1901年にサンティニケタン (シャーンティニケータン) に創設した学校は,1921年にビシバ=バーラティ大学となった。数多くの歌や舞踊劇をつくったが,特にベンガル地方の古い民謡をもとに,多くの新しい旋律をつくった。彼の作詩作曲した『ジャナ・ガナ・マナ』 Jana Gaṇa Manaはインド国歌となった。ほかに小説『ゴーラー』 Gorā (1910) などがある。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

百科事典マイペディアの解説

タゴール

インド,ベンガルの詩人,小説家。ベンガル音でロビンドロナト・タクル。若くして詩才を認められ,17歳のとき渡英,西欧文化に触れた。1890年以後ベンガル農村文化に深く親しみ,1901年シャンティニケータンに寄宿学校(現在のビシュバ・バラ・ティ国立大学)を創立し,農村改革運動を進めた。1910年,宗教的瞑想(めいそう)生活の中から生まれたベンガル語詩集《ギーターンジャリ》を刊行,その英訳により1913年ノーベル文学賞。1905年のベンガル分割法制定時の民族運動からは離脱したが,ガンディーらの独立運動ではその精神的支柱となった。インド社会の矛盾を直視し,西欧文明に絶望しながらも,未来への希望を描き続けた。また,〈ロビンドロ・ションギート〉(ロビンドロの音楽)として現在も親しまれている多くの歌曲や新しい舞踊劇のスタイルを生み出した。
→関連項目ツェムリンスキーバンキムチャンドラブラフマ・サマージベンガル語レイ

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

タゴール Tagore, Rabindranath

1861-1941 インドの思想家,詩人。
1861年5月7日生まれ。父のもとでインドの宗教,文学をまなび,またイギリス留学などで近代ヨーロッパ思想にもしたしむ。1913年詩集「ギーターンジャリ」でノーベル文学賞受賞。世界各地を歴訪し,日本にも大正5年以来5回おとずれた。1941年8月7日死去。80歳。カルカッタ出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典 第2版の解説

タゴール【Rabīndranāth Tagore(Ṭhākur)】

1861‐1941
近代ベンガル最大の文学者。インド西ベンガル州カルカッタ生れ。父デベーンドラナート・タゴールはインドの近代宗教運動に重要な役割を果たした宗教家。兄弟・親戚にも優れた芸術家・思想家が多い。恵まれた環境の中でインド古典を学び,イギリス留学などを通じて西欧ロマン派文学に親しんだ。若い頃からバンキムチャンドラらに詩人としての才能を認められる。1890年から約10年間,父に農村の土地管理を任され,初めてベンガルの農村文化に深く触れる機会を得る。

出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報

大辞林 第三版の解説

タゴール【Rabīndranāth Tagore】

1861~1941) インドの詩人・思想家。東西文化の交流につとめ、人間の尊厳と世界の平和を訴えた。インド独立運動にも貢献。詩集「ギーターンジャリ」、小説「ゴーラ」ほか。

出典 三省堂大辞林 第三版について 情報

精選版 日本国語大辞典の解説

タゴール

(Rabīndranāth Tagore ラビンドラナース━) インドの詩人、思想家。インドの近代化を促すとともに、東西文化の融合につとめた。日本にも四回来訪。ベンガル語と英語で作品を発表。一九一三年、抒情詩集「ギーターンジャリ」でノーベル文学賞を受賞した。インド国歌「ジャナ・ガナ・マナ(インドの朝)」の作詞・作曲者。(一八六一‐一九四一

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

世界大百科事典内のタゴールの言及

【インド舞踊】より

…インド各地には,そのほか,いわゆるフォークダンスといわれるジャンルに属するグループ舞踊があり,それぞれ,地域の特徴を備えている。 20世紀初頭には,ラビンドラナート・タゴールやウダイ・シャンカル(1900‐77)によって新しい舞踊の創作が行われた。創作舞踊は,ヌリッタやアビナヤの理論を離れた新しい形を目ざしたが,この創作理念を受け継ぐ舞踊家や演出家が少なく,2人の死後はあまり盛んではない。…

【インド文学】より

…ことにバンキムチャンドラはベンガル近代散文の確立者として批評・随筆の領域にも幅広い功績を残した。彼によって切り開かれた近代散文をさらに展開すると共に,詩の領域に比類ない業績を残したのはタゴール(タークル)である。この2人によってベンガル文学の黄金時代が築かれたと言えよう。…

【エロシェンコ】より

…秋田雨雀,大杉栄,中村彝(つね),竹久夢二,小坂狷二,相馬黒光,神近市子,片上伸らと交友,日本語による口述筆記で作品を発表した(処女作《提灯の話》1916)。16年,来日していたインドの詩人タゴールに会い,本能的な放浪者であったエロシェンコは東洋の他の弱小民族の生活を知るためにタイ,ビルマ(現ミャンマー),インドに旅立つ。19年再来日,早大聴講生となり,第2次《種蒔く人》の同人となり,次々と童話を発表した。…

【ギーターンジャリ】より

…インド,ベンガル地方の詩人タゴールの代表詩集(1910)。原題は《ギタンジョリ(〈歌の捧げ物〉の意)》。…

【児童文学】より

…しかしヨーロッパの植民地となったインドには,民族的自覚と結びついた近代のめざめが訪れるまで,新しい児童文学がそだつ基盤がなかった。ノーベル賞作家タゴールはインドの夜明けをつげるかのような,少年を描いた詩的な戯曲《郵便局》(1914)を書いたが,新しいインドが伝統を生かして児童文学をゆたかに創造することは今後に期待される。1956年にインドで開かれたアジア作家会議の中心議題の一つが児童文学であったことも象徴的である。…

【シャンティニケータン】より

…ビシュバ・バーラティーVisva Bhāratī(インド国際)大学の所在地として有名である。1863年,詩人R.タゴールの父がここに宗教道場を開き,のちにはタゴール自身が学校を設立した。タゴールは1913年に受賞したノーベル文学賞の賞金を学校運営にあて,同校は21年,東洋と西洋との相互理解の促進をめざす大学へと発展,インド独立後の51年には国立大学となった。…

【バングラデシュ】より

…ガンガー(ガンジス),ブラフマプトラ,メグナといった大河川の形成するデルタ地帯に広がるバングラデシュは,雨季にはその国土の大部分が水没する。しかし同時に洪水が運んでくる肥沃な土壌は農産物の豊かな産出を約束し,収穫時には国歌(R.タゴール作詞・作曲)に歌われるように〈黄金のベンガル〉が出現する。ムガル帝国時代にはインドの穀倉と称せられた緑豊かな国柄である。…

【レイ】より

…また,インドの民族楽器シタールを使ったラビ・シャンカルの音楽も世界的に注目を浴びた。 サタジット・レイは〈詩聖〉タゴールと親交のある家庭に育ち,タゴールの創設した大学に学んで薫陶をうけ,《女神》(1960),《三人の娘》(1961),《チャルラータ》(1964)などタゴールの作品を原作とした映画も多く,《詩聖タゴール》(1961)という記録映画も撮っている。レイの映画はベンガル語映画であるが,《チェスをする人》(1977)のように,観客層を広げるためにヒンディー語映画として製作されたものもある。…

※「タゴール」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報

今日のキーワード

プレッパー

非常事態に備え、食糧や自衛のための武器・弾薬などを過度に備蓄している人のこと。「備える(prepare)」から生まれた言葉で、2012年現在では米国に最も多く存在し全米で300~400万人にのぼるとみ...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android

タゴールの関連情報