イングランド王ウィリアム1世が1078年,ロンドンの支配と防衛のため,テムズ川の北岸,ローマ時代の市壁の内側に築いたホワイト・タワーに起源する城塞。全域は18エーカー(約7ha)。その後リチャード1世,ヘンリー3世などにより内郭といくつかの塔が,エドワード1世により外郭と濠が築かれ,近代初頭にも多少の手が加えられて,13の塔と不規則な六角形の二重の城壁をもつ今日のロンドン塔となった。中世以来近代初めまでしばしば王宮となり,また長く国事犯の牢獄としても使用され,ロンドン城代と国王護衛兵により守られた。本来の入口はテムズ川に面して水をひいた〈トレーターズ・ゲート(反逆者の門)〉で,ここから小舟で運ばれた囚人は,二度と再び生きて出ることがないと恐れられた。ここで処刑または監禁された囚人はトマス・モア(1535処刑),ヘンリー8世王妃アン・ブーリン(1536処刑),後の女王エリザベス1世(1554,投獄2ヵ月で釈放),ウォーター・ローリー(1592,1603-16投獄,1618処刑)ら多数を数え,彼らにまつわる物語はロンドン塔の歴史に陰惨な影をおとしている。今日は〈ビーフイーターBeefeater〉と俗称されるチューダー時代の服装をした護衛兵の管理のもとで,王室の宝物の保管所として,また武器・甲冑の展示場として,一般に公開されている。
執筆者:青山 吉信
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イギリスのロンドン東部、シティ地区の東端にある砦(とりで)。タワー・ヒルとよばれるテムズ川北岸の高台に建ち、中央のホワイト・タワーのほか、王室宝物館、武器展示館など数個の建物とそれらを囲む城壁があり、さらにその外側には濠(ほり)が巡らされている。その歴史はカエサルのブリタニア遠征の際の築城に始まるといわれ、古くから要塞(ようさい)として使われていたが、12世紀のノルマン王朝による再建を経て徐々に拡張され、13世紀後半にほぼ現在の外形が整った。17世紀前半までは王室の居城の一つであったが、歴史上はむしろ監獄として知られ、トマス・モア、アン・ブリン、ジェーン・グレイらが処刑されるなど、数多くの歴史的エピソードをもつ。ウェストミンスターではなくシティの内部に置かれたその立地が示すように、本来はシティの住民に対する国王権力の威圧の意が込められていたが、18世紀ごろから観光の名所として親しまれるようになり、現在に至っている。1988年には世界遺産の文化遺産として登録されている(世界文化遺産)。
[大久保桂子]
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ロンドンのテムズ川北岸にある中世以来の城砦。ノルマン人の征服後ウィリアム1世により建造が始められ,その後拡大されて,王宮となる。国事犯の牢獄,処刑場としても用いられた。
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