ローザンヌ条約(読み)ローザンヌじょうやく

精選版 日本国語大辞典 「ローザンヌ条約」の意味・読み・例文・類語

ローザンヌ‐じょうやく‥デウヤク【ローザンヌ条約】

  1. ローザンヌ会議[ 一 ]において締結された条約。一九二〇年のセーブル条約を改訂し、トルコを完全な独立国とした条約。

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百科事典マイペディア 「ローザンヌ条約」の意味・わかりやすい解説

ローザンヌ条約【ローザンヌじょうやく】

第1次大戦後の1922年―1923年,ローザンヌ会議連合国とトルコの間に締結された条約。トルコはダーダネルスとボスポラス両海峡地帯の非武装化およびキプロス島等の割譲を承認させられたが,セーブル条約による拘束を脱し国際的地位を回復した。
→関連項目イズミルエディルネクルディスターンケマル・アタチュルクモントルー条約

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旺文社世界史事典 三訂版 「ローザンヌ条約」の解説

ローザンヌ条約
ローザンヌじょうやく

ローザンヌ会議の結果,1923年7月トルコと連合国との間で結ばれた条約
トルコは第一次世界大戦セーヴル条約に反対してムスタファ=ケマル(ケマル=パシャ)の下にギリシア軍を破った。条約の内容は次のとおり。(1)トルコは非トルコ人の居住する旧トルコ領についての要求を引っ込め,ギリシアによる2,3の島以外のエーゲ海の島の領有を認めるが,ギリシアはイズミル(スミルナ)をトルコに返還し,またトルコは東トラキアを回復する。(2)民族居住地の整理のためトルコ・ギリシア両民族の交換が行われる。(3)ドデカネーゼ諸島はイタリアが,キプロス島はイギリスが領有し,ダーダネルス海峡ボスポラス海峡は非武装化される。この条約によってトルコの独立は回復された。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ローザンヌ条約」の解説

ローザンヌ条約(ローザンヌじょうやく)

1923年にトルコ共和国の独立が認められた条約。第一次世界大戦に敗れたオスマン帝国は,20年屈辱的なセーヴル条約によって連合国による領土分割の危機に直面した。しかし,ムスタファ・ケマル(アタテュルク)指導のもと,祖国解放戦争に勝利し,占領軍は撤退した。23年,改めて連合国との間にローザンヌ条約が結ばれ,トルコは領土保全,不平等条約の撤廃などを勝ち取り,独立を承認された。

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世界大百科事典(旧版)内のローザンヌ条約の言及

【海峡問題】より

…ところが,第1次大戦とロシア革命,トルコ革命によって海峡をめぐる政治条件は一変し,第3期になる。まず,1923年のローザンヌ条約で,トルコに対する海峡の主権の承認,すべての海軍の自由航行権の承認,海峡の非武装が規定された。ところが,トルコとソ連の反対にあい,結局,36年のモントルー条約によって,海峡の再武装が承認され,軍艦の艦種・トン数・時期などの制限が付されて,今日まで至っている。…

【ダーダネルス海峡】より

…第1次世界大戦ではイギリス・フランス連合軍が海峡占領を画策したが失敗に終わった。大戦後,セーブル条約(1920)で国際管理下に置かれたが,ローザンヌ条約(1923)で非武装を条件にトルコの支配管理権が認められ,現在にいたる。【長場 紘】。…

【トルコ革命】より

…ただし,カリフにはオスマン王家の一員が〈トルコ大国民議会〉によって選出された。23年7月23日,アンカラ政府は連合国との間にローザンヌ条約を締結し,セーブル条約を廃棄させてトルコの独立を国際的に承認させ,あわせて治外法権の撤廃,オスマン債務管理局およびフランス系タバコ専売公社の廃止など,19世紀以来の経済的植民地体制を清算することに成功した。同年10月29日,アンカラを新首都としてトルコ共和国が宣言され,ケマル・アタチュルクがその初代大統領に選出された。…

【トルコ共和国】より

…ムスタファ・ケマル・パシャ(後のケマル・アタチュルク)は,これらの運動を統合し,アンカラに国民政府を樹立して,連合国の傀儡(かいらい)と化したオスマン帝国政府の打倒,ギリシア軍,フランス軍など外国軍隊の追放を実現した。その結果,600年余の命脈を保ったオスマン帝国は滅亡(1922年11月スルタン制の廃止)し,23年7月のローザンヌ条約によって,セーブル条約が廃棄されてトルコの独立が国際的に承認された。同年10月,国民政府はアンカラへの遷都決定に引きつづいて共和制を宣言し,ムスタファ・ケマルがその初代大統領に選出された。…

【バルカン】より

…しかし民族国家形成のために行われた最も思いきった荒療治は住民交換であった。第1次大戦後に結ばれたヌイイー条約によってギリシア・ブルガリア間に住民交換が行われ,またギリシア・トルコ戦争の講和条約である1923年のローザンヌ条約によって両国間に強制的住民交換が行われ,ギリシア人130万人,トルコ人40万人,ブルガリア人25万人がそれぞれの〈本国〉へ移住したといわれるが,何世紀も居住した土地を去って母国に引き揚げた者たちを待ちうけていたのは多くの場合割り当てられた開拓地や都市スラム街での生活や経済的な貧しさであった。 独立後の経済的・社会的立遅れのために生じた現象としては,海外とくにアメリカへの移住がある。…

【ラチオ[州]】より

…1198年に即位したインノケンティウス3世は,反皇帝運動の中心となり,教皇領の拡大,充実を図った。13世紀の諸都市は,ギベリンゲルフに分かれて激しい戦いに入り,1278年,教皇ニコラウス3世は皇帝ルートウィヒと教皇領を承認するローザンヌ条約を更新し,この時から,教皇は真の世俗的統治者になった。アナーニ事件を経て,1309年,教皇庁はアビニョンへ移転され,ラチオにおける教皇の統治権が衰退した。…

※「ローザンヌ条約」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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