1950年代初めのアメリカで起きたスパイ事件。ソ連が原爆実験に成功した年の翌1950年,第2次大戦中アメリカで原爆計画に関係したイギリスの原子物理学者フックスKlaus Fuchsがソ連のスパイとして逮捕された。この事件を契機に,アメリカでフックスの共犯者捜しが始まり,同年,ジュリアス・ローゼンバーグJulius Rosenberg(1918-53)とその妻エセルEthel R.(1915-53)が原子力機密のソ連への漏洩に助力したかどで逮捕された。夫妻は,戦時中ロス・アラモスの原爆工場に勤務していたエセルの弟,グリーングラスDavid Greenglassを通じて機密を入手したとされた。夫妻は一貫して犯行を否認していたが,疑わしい点を少なからず含んでいたこのグリーングラスの証言をほぼ唯一の根拠に,51年4月,スパイ事件の首謀者およびその積極的な協力者として死刑判決を受けた。その後,この事件は政治的でっちあげであるとする助命嘆願運動が国際的に繰り広げられたが,53年6月,夫妻は処刑された。事件そのものが冤罪であったか否かについては,75年の司法省の記録の一部公開後も歴史家の間に議論が続いているが,裁判から処刑に至る経過に,マッカーシイズムに示される冷戦初期の時代状況が影響していたことは否定できない。
執筆者:古矢 旬
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ジュリアス・ローゼンバーグ(1918―53)とその妻エセル(1915―53)を、当時のソ連に原爆機密を売った犯人として処刑した事件。英原爆スパイ容疑者クラウス・フックスが逮捕されたのを契機に、同じスパイ・リングの一環として1950年2月グリーングラス夫妻とその義兄ローゼンバーグ夫妻が逮捕された。容疑は、夫妻が戦時中に原爆工場に電気工として勤務したグリーングラスから原爆機密を受け取り、これをソ連に売ったというものであったが、唯一の証拠はグリーングラスの自白だけで、ローゼンバーグ夫妻は最後まで潔白を主張して、自白すれば減刑するとの誘いも断って電気椅子(いす)で処刑された。証拠とされたグリーングラスの自白と彼の描いた図面も、アインシュタイン、ハロルド・ユーリー博士らの最高頭脳がアイゼンハワー大統領あて書簡で述べたように、まったく無意味なものでしかなかった。
事件は、前年1949年にソ連が原爆を保有し、アメリカの原爆独占が破られたことに対する政治反動としてつくられたものとして、アメリカ国内でもヨーロッパでも強い抗議運動がおこり、アイゼンハワー大統領への世界著名人の処刑中止の要請も相次いだが、マッカーシズムの吹き荒れる当時のアメリカでは、処刑を中止させることはできなかった。現在では英米でいくつかの周到な調査に基づく研究書も出版されており、ローゼンバーグ夫妻が完全に無実であったことが論証されている。夫妻が獄中から幼い2人の息子たちに送った書簡集(邦訳名『愛は死を越えて』)は有名である。
[陸井三郎]
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