イタリアにある400近い国立館のなかでも代表的な、ローマにある美術館。4世紀初頭にローマ皇帝ディオクレティアヌスが建設した巨大な公共浴場(テルメ)の遺構の一部が使用されていることから、テルメ美術館Museo delle Terme di Dioclezianoともよばれる。浴場は6世紀にゴート人が侵入して以来廃墟(はいきょ)と化していたが、保存・修復の作業が始められた16世紀ごろには、遺構のプランを生かしたカルトゥジオ会の修道院が建設された。サンタ・マリア・デリ・アンジェリ聖堂を中心とするこの修道院の回廊は、ミケランジェロの設計とされる。遺構はその後も改変の手が加えられたが、古代ローマの公共建築の面影を保ち続け、1902年に国有化された。その後美術館としての整備が進められ、イタリア統一50周年にあたる1911年に開館となった。浴場跡の修復も一段落した後は、展示品のみならず敷地や建物そのものが、重要な考古的・歴史的価値をもった美術館となっている。
収蔵・展示されているのは、主としてローマが近代都市として整備され始めた19世紀後半以降に、ローマ市内およびラツィオ地方から出土した彫刻、石棺、壁画、モザイク、工芸などの古代ギリシア・ローマの遺品であるが、寄贈や買上げによって国有化された、歴史の古い個人コレクションもまた名高い。なかでも1901年に国家が買上げた、枢機卿ルドビコ・ルドビージLudovico Ludovisi(1595ごろ―1632ごろ)の蒐集(しゅうしゅう)になるルドビージ・コレクションに含まれるギリシア古典期の浮彫『ルドビージの玉座』や、ローマ帝政末期の『ルドビージの大石棺』などの古代美術品は、収蔵品を代表する作品となっている。そのほかの主要収蔵品には、『テベレのアポロン』、『パラティーノのユノー』、『ニオベの娘』、アポロニオス作の『拳闘士(けんとうし)』、『アンツィオの少女』などのギリシア彫刻、『ビア・ルビカナのアウグストゥス』像、『カエザル』像、『ソクラテス』像をはじめとする数多くの肖像彫刻、また世界最大といわれるローマ石棺のコレクションのほか、プリマ・ポルタのリウィア(アウグストゥスの妻)の別荘の壁画、ビラ・ファルネジーナ出土の壁画やストゥッコ浮彫(ストゥッコとは、漆喰(しっくい)の一種で消石灰を主材料にした凝固の遅いものをいう)、コレマンチオ出土の巨大な舗床(ほしょう)モザイクなどがある。こうした多数の収蔵品は、複数の建物に分かれて展示されており、ディオクレティアヌス浴場内の建物と浴場東側のアウラ・オッタゴーナには、ローマで出土したギリシア・ローマ時代の彫刻、浮彫、絵画、モザイク、メダルなどが、五百人広場わきのパラッツォ・マッシモには紀元前1世紀から帝政末期にいたる古代ローマ時代の作品が、ナボナ広場にほど近いパラッツォ・アルテンプスにはルドビージ・コレクションのほかモザイクや石棺などがある。
[保坂健二朗]
ローマにある美術館。1889年設立。古代美術遺品を収蔵する重要な美術館の一つ。306年に完成したディオクレティアヌス浴場の遺跡の一部を使用していることから,テルメ(浴場)美術館Museo delle Termeとも呼ばれる。16世紀に浴場の一部が修道院に改築され(1563年にミケランジェロが教会堂を手がける),美術館はその修道院の建物を使っている。所蔵品の基となったのは,イタリア統一(1861)後の急激なローマ市街開発に際し出土したおびただしい古代遺品であった。そのなかには,《倒れるニオベの娘》(大理石像,前5世紀)や《座る拳闘士》(青銅像,前1世紀)などの名品が含まれている。1901年には,《ルドビシの玉座》(前5世紀)や《戦闘図大石棺》(3世紀)などを含むルドビシ家コレクションが加わり,所蔵品の質と量は一挙に増大した。
執筆者:中山 典夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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