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デジタル大辞泉
「ローリー」の意味・読み・例文・類語
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ローリー
Ralegh(Raleigh), Sir Walter
[生]1552頃.デボン,ヘーズバートン
[没]1618.10.29. ロンドン
イギリスの軍人,海洋探検家,廷臣,文人。エリザベス朝の典型的なルネサンス人。 1578~79年異父兄 H.ギルバートの航海に参加。アイルランド政策を批判したことからエリザベス1世の寵を得,84年ナイト爵に叙せられた。ぬかるみに高価なマントを広げて女王を通したという伝説は有名。 84~85年北アメリカを探検してフロリダ北部を処女女王 (バージン・クイーン) エリザベスにちなんでバージニアと名づけ,植民を行なったが失敗。 87年近衛隊長。 92年女王の寵を失い,一時入獄したがほどなく放免され,95年南アメリカのオリノコ川を探検。 96年2代エセックス (伯)に従ってカディスを襲撃。ジェームズ1世の治世となり,1603年反逆事件に連座して投獄され,獄中で『世界史』 The History of the World (1614) を書いた。 16年釈放されて再びオリノコ川探検を試みたが失敗し,帰途スペイン領で乱暴を働いたとのスペインからの抗議により,処刑された。 E.スペンサーの友人で抒情詩人としても有名。
ローリー
Raleigh
アメリカ合衆国,ノースカロライナ州の州都。 1792年に州都として建設。古くから商業が発達,20世紀中頃から輸送機関の発達により取引高が急増。食料品の卸売が盛ん。電子機械やコンピュータ,食品加工,繊維や化学などの工業が発達。ノースカロライナ州立大学をはじめ,多くの高等教育機関が集中。第 17代大統領 A.ジョンソンの生誕地。ダラム,チャペルヒルとともにリサーチトライアングル地区を形成し,テクノポリスと呼ばれる。人口 40万3892(2010)。
ローリー
Raleigh, Sir Walter (Alexander)
[生]1861.9.5. ロンドン
[没]1922.5.13. オックスフォード
イギリスの文学研究者。オックスフォード大学の初代英文学教授となり,ナイトに叙せられた。主著『文体』 Style (1897) ,『ミルトン』 Milton (1900) ,『ワーズワス』 Wordsworth (03) ,『シェークスピア』 Shakespeare (07) ,『ジョンソン6講』 Six Essays on Johnson (10) 。
ローリー
Rowley, William
[生]1585頃
[没]1642頃
イギリスの劇作家,俳優。伝記不詳。戯曲の多くは T.ミドルトン,J.ウェブスター,デッカーなどとの共作によるもの。代表作は『チェンジリング』 The Changeling (1622,ミドルトンと共作) 。
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ローリー
英国の軍人,探検家。エリザベス1世に愛され近衛隊長となり,北米植民を企てたが失敗,寵(ちょう)を失って投獄された。女王死後,ジェームズ1世の即位に際して反逆に荷担し1603年―1616年獄中にあり,その後南米探検に失敗して帰国後処刑。才気に恵まれ波瀾(はらん)万丈の生涯を送ったエリザベス朝ルネサンスの代表的人物。獄中で《世界史》を書いた。
→関連項目ロンドン塔
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ローリー【Malcolm Lowry】
1909‐57
イギリスの作家。世界各地を放浪の末,1937年にカナダへ移り,そのまま54年までバンクーバー市近郊で暮らす。強度のアルコール中毒とパラノイアに悩まされ,存命中に出版までこぎつけたのは,いくぶん自伝的な小説《ウルトラマリン》(1933)と,アルコール中毒になった外交官の破滅をメキシコの風物を背景に描いた小説《火山の下で》(1947)の2編だけであった。没後,短編小説集《主よ,あなたのすみかである天国より耳をかし給え》(1961)のほか,E.バーニー編《選詩集》(1962)やローリー未亡人編《書簡選》(1965)などが出た。
ローリー【Walter Ralegh】
1554?‐1618
イギリスの軍人,廷臣,航海者,詩人,歴史家。Raleighとも書く。西部のデボンシャーの出身。一族に異父兄H.ギルバートほか軍人や航海者が多い。1569年故郷を出奔,ユグノー戦争に加わって大陸に転戦,次いでアイルランド戦争にも参加した。72‐74年オックスフォード大学に在籍,続く法学院時代を通じて,すでに詩人的天分を示したうえ,その美貌と仁俠でほどなくエリザベス宮廷の寵児となる。83年デボンシャー選出議員,翌年には騎士に叙せられ,鉱山監督官,西部2州の知事,海軍副司令官と昇進が続く。
ローリー【Raleigh】
アメリカ合衆国ノース・カロライナ州中央部の同州の州都。人口23万7000(1994)。ピードモント台地とコースタル・プレーン(海岸平野)の境界付近に位置し,同州の商業,政治,文化の中心地。周囲の農業地帯で生産される綿花,野菜,果物,ブロイラー,肉牛の取引中心地であるとともに,繊維,家具,食品,電気器具などを産する工業都市でもある。1792年に集落が建設され,94年に州都となった。1840年に鉄道が開通してから農産物の集散地として発展した。
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ローリー
Walter Raleigh
1552ごろ〜1618
イギリスの軍人・植民者
エリザベス1世の寵臣。1584〜85年に北アメリカの植民を行い,その地をヴァージニアと名づけた。ジェームズ1世が即位すると,官職を奪われて投獄され,その間に『世界史』を著した。のち南アメリカのオリノコ川を探検し,スペイン人と争ったため帰国後,処刑された。
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ローリー
ぺんてる株式会社の油性ボールペン、シャープペンシルの商品名。2~4色の多色ボールペンもある。
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世界大百科事典内のローリーの言及
【クラブ】より
…それは支配階級の象徴であったから,政治クラブの性格をもつ場合が多かったが,ほかに文芸,芸術,学問を目的とするクラブ,スポーツ・クラブ,それらすべてに共通する遊興――ダンスやギャンブル――をもっぱら目的とする社交クラブなど,多様なものがある。 近代的なクラブは,エリザベス時代にW.ローリーがつくった〈フライデー通り〉をもって嚆矢とするが,それが一挙に普及するのは,ヨーロッパ大陸よりも早く,コーヒー・ハウス(喫茶店)の群生した17世紀後半のことである。成立期のクラブの集会は,コーヒー・ハウスの特定の一室を定期的に借り切って行われたのである。…
【大航海時代】より
…次いでイギリスは1550年代からヨーロッパ,アフリカ,新大陸を結ぶ三角貿易に進出し,新大陸に奴隷を供給して利益をあげる一方,70年以降はフランシス・ドレークなどの私掠船隊がスペインの商船隊をさかんに襲撃した。このほか北東航路,北西航路の探検も続けられ,また84年にはウォルター・ローリーによるバージニア植民地,95年には同じくローリーによるオリノコ川でのギアナ植民地の建設が行われた。イギリスのこうした積極的な活動に反撃しようとしてスペインは1588年に無敵艦隊を送ってイギリスを攻めたが,かえって敗れてしまった。…
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