イギリスの軍人,廷臣,航海者,詩人,歴史家。Raleighとも書く。西部のデボンシャーの出身。一族に異父兄H.ギルバートほか軍人や航海者が多い。1569年故郷を出奔,ユグノー戦争に加わって大陸に転戦,次いでアイルランド戦争にも参加した。72-74年オックスフォード大学に在籍,続く法学院時代を通じて,すでに詩人的天分を示したうえ,その美貌と仁俠でほどなくエリザベス宮廷の寵児となる。83年デボンシャー選出議員,翌年には騎士に叙せられ,鉱山監督官,西部2州の知事,海軍副司令官と昇進が続く。西部を中心に富と権勢を蓄え,84年からは一統を派遣して北アメリカ東海岸を探検,処女王エリザベスにちなんでこれにバージニアの名を与えた。植民者も送り込まれたが,スペイン無敵艦隊の来襲を伝えられる内外情勢の転換によって,87年いったんこれを放棄,アイルランド植民にとり組む。同地で詩人スペンサーに会い,彼を宮廷に紹介する。しかし廷臣としての寵はエセックスの登場とともに次第に減退,ことに92年にはE.スロッグモートンとの秘密結婚が発覚して入獄。寵愛回復の意図もあってか,95年南米ガイアナ遠征に出発,オリノコ河畔を探検した。96-97年スペインのカディスとアゾレス諸島を攻撃,しかし1603年女王の死とともに,新王ジェームズ1世への陰謀を疑われて再度入獄,獄中で《世界史》(1614)を書く。16年釈放されていま一度のガイアナ行きを許されるが失敗,スペイン側の要請もあって18年処刑された。イギリスにおける喫煙の風習は,彼と彼が送った植民者によって広められた。
執筆者:越智 武臣
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イギリスの軍人、植民者、文人。デボンシャーのジェントリ出身で、青年時代に義勇兵としてユグノー戦争に従軍し、1578年異母兄ギルバートの北アメリカ探検に随行。80年アイルランドで反乱鎮定に功をたて、翌年帰国して以来エリザベス1世の寵(ちょう)を得て急速に出世し、84年ナイトに叙された。85年から探検隊を北アメリカに送って植民を試みたが失敗(新植民地は女王にちなんで「バージニア」と命名)。87年近衛(このえ)隊長、88年スペインのアルマダ(無敵艦隊)来襲時には防衛委員。このころから君寵を失い、92年不義のかどで一時ロンドン塔に投獄された。95年伝説の黄金郷(エル・ドラドEl Dorado)を求めてオリノコ川流域を探検。1603年ジェームズ1世の治世になると疎まれ、陰謀のかどで13年間ロンドン塔につながれ、獄中で『世界史』を書いた。16年釈放され、ふたたび黄金郷発見のためオリノコ川に赴いたが、王命に反してスペイン人と争いを起こしたため、処刑された。詩作や散文にも長じ、エリザベス朝の代表的人物とされる。
[松村 赳]
アメリカ合衆国、ノース・カロライナ州中央部の都市で、同州の州都。人口27万6093(2000)。ピードモント台地と海岸平野が接する所に位置し、同州の政治・文化の中心地として知られる。周辺の農業地帯で生産される綿花、野菜、果物、ブロイラー、肉牛の取引中心地であるとともに、繊維、家具、食品、電気器具などの工業も発達している。1792年に計画的に建設された町で、94年にロアノークから同地に州都が移った。町のおもな活動は州政府に関係したものであったが、1840年に鉄道が開通してから周辺で産する農産物の集散地として発展した。南北戦争後は繊維工業が発展し、今日の工業活動の基礎となった。ノース・カロライナ州立大学をはじめとした九つの大学をもつ教育都市でもある。ローリー・ダーラム都市圏域にはノース・カロライナ大学、デューク大学もあり、圏域内は人口当りの博士号取得者数が全米一である。カシの木が多く、オーク・シティともよばれる。また、17代大統領アンドリュー・ジョンソンの生地としても知られる。
[菅野峰明]
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…南大西洋,南極半島先端の北東沖にあるイギリス領の諸島。スコシア海とウェッデル海の間,南緯60゜35′,西経45゜30′付近に位置し,コロネーション島,ローリー島とその他の小島,岩礁から構成され,総面積624km2。山地が多く,氷雪に閉ざされて不毛なため,捕鯨船の寄港やシーニー島の観測基地を除いて無人。…
…それは支配階級の象徴であったから,政治クラブの性格をもつ場合が多かったが,ほかに文芸,芸術,学問を目的とするクラブ,スポーツ・クラブ,それらすべてに共通する遊興――ダンスやギャンブル――をもっぱら目的とする社交クラブなど,多様なものがある。 近代的なクラブは,エリザベス時代にW.ローリーがつくった〈フライデー通り〉をもって嚆矢とするが,それが一挙に普及するのは,ヨーロッパ大陸よりも早く,コーヒー・ハウス(喫茶店)の群生した17世紀後半のことである。成立期のクラブの集会は,コーヒー・ハウスの特定の一室を定期的に借り切って行われたのである。…
…次いでイギリスは1550年代からヨーロッパ,アフリカ,新大陸を結ぶ三角貿易に進出し,新大陸に奴隷を供給して利益をあげる一方,70年以降はフランシス・ドレークなどの私掠船隊がスペインの商船隊をさかんに襲撃した。このほか北東航路,北西航路の探検も続けられ,また84年にはウォルター・ローリーによるバージニア植民地,95年には同じくローリーによるオリノコ川でのギアナ植民地の建設が行われた。イギリスのこうした積極的な活動に反撃しようとしてスペインは1588年に無敵艦隊を送ってイギリスを攻めたが,かえって敗れてしまった。…
※「ローリー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...
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