ワイト島(読み)ワイトトウ(英語表記)Isle of Wight

デジタル大辞泉 「ワイト島」の意味・読み・例文・類語

ワイト‐とう〔‐タウ〕【ワイト島】

Isle of Wight》英国イングランド南部、サウサンプトン南方、イギリス海峡にある島。行政の中心地はニューポート。他にカウズライド、ベントナーなどの海岸保養地がある。北部にあるオズボーンハウスや、島西端部にある白亜紀チョーク石灰岩)の崖が続く景勝地ニードルズが有名。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「ワイト島」の意味・わかりやすい解説

ワイト[島]
Isle of Wight

イギリス,イングランド南部のイギリス海峡にある島。面積381km2,人口13万6200(2003)。古代にはウェクティスVectis島と呼ばれた。1974年まではハンプシャーに属したが,現在は単独でアイル・オブ・ワイト州をなす。ソレントSolentおよびスピットヘッドSpithead両水道で本土と隔てられ,東西37km,南北21kmのひし形をなす。中央にチョーク層の山地が横たわり,その延長が西岸沖にニードルズNeedles島の白亜岩礁となって現れる。またメディナ川などが島を開析して北流,ソレント水道へ注ぐ。温和な気候と美しい風光に恵まれ,南東岸のサンダウンSandown,シャンクリンShanklin,ベントナーVentnorなどがビクトリア時代以来,海岸保養地となっている。牧羊など農業のほか石材業や,北岸のカウズCowesでは造船,航空機工業がみられる。カウズには王立ヨット艦隊が置かれ,8月に開催されるカウズ・ウィークと呼ばれるレガッタをはじめ,ヨット競技が盛ん。青銅器時代の遺跡に富むが,紀元43年にローマが占領,ジュート人の侵入を受けたのち661年にウェセックス王国に併合された。10世紀末からデーン人本拠地にもなり,1293年に至って王室領となった。14~16世紀にはしばしばフランス軍の攻撃を受けたため,各地に要塞が建設された。またチャールズ1世が1647-48年にカリスブルック城に幽閉されている。カウズの近くにあるオズボーン・ハウスOsborne Houseは,ビクトリア女王がこよなく愛した海浜別荘であった。夫アルバート公自身が設計にあたり,女王はここで初めて海水浴を体験し,この館で息を引き取った。本土のポーツマス,サウサンプトン,リミントンからのフェリーが,ライド,カウズ,ヤーマスにそれぞれ通じている。中心都市は州都ニューポート。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ワイト島」の意味・わかりやすい解説

ワイト島
ワイトとう
Isle of Wight

イギリスイングランド南部,イギリス海峡北部にある島。単一自治体(ユニタリー unitary authority)。行政府所在地ニューポートハンプシャー県の南岸に沿って位置する菱形の島で,本土とは狭いソーレント水道によって隔てられる。中央部を東西に白亜丘陵が延び,その北斜面は古第三紀層に覆われた低地に向かって急傾斜するが,南斜面はゆるやかに傾斜し,島の南端部で再び白亜の高まりをみせ,急崖をなしてイギリス海峡に臨む。青銅器時代の武器や塚を中心に先史時代の考古学的史料に富み,ローマ時代の住居跡もいくつか発掘されている。661年ウェセックス王国に併合されたが,のちサセックス王に与えられた。14~16世紀にはしばしばフランス人の侵入に悩まされ,これに対するために沿岸各地に要塞が築かれた。風光と穏やかな気候に恵まれるため観光業が重要で,フレッシュウォーター,ヤーマス,ライドなどの海浜保養地があり,島の主要港カウズヨット競技の開催地として有名。ほかに果実・野菜栽培,造船,航空機製造などが行なわれる。面積 381km2。人口 14万(2005推計)。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ワイト島」の意味・わかりやすい解説

ワイト島
わいととう
Isle of Wight

イギリス、イングランド南部、サウサンプトンの南に浮かぶ島。イギリス海峡に面し、面積380平方キロメートル、人口13万2719(2001)。1県(カウンティ)を構成していたが、1995年にイングランドで最初のユニタリー・オーソリティー(一層制地方自治体)となった。行政の中心地はニューポートNewport(人口2万1400、2002推計)。島の中央部を南から北へメディナ川が流れ、その下流部にニューポートが位置する。白亜紀のチョーク質の丘が島の中央を東西に延び、西端にニードルズとよばれるチョークの崖(がけ)と岩礁が点在する。北部から東部にかけての海沿いには、カウズ、ライド、ベントナーなどの海岸保養都市が位置する。温和な気候と美しい風景に恵まれ、古くビクトリア時代から観光客でにぎわってきた。ビクトリア女王はカウズ近郊のオズボーン・ハウスに好んで滞在し、そこで生涯を終えている。牧羊業に加え、野菜、果樹の栽培が盛んである。造船、航空機、石材などの工業も立地する。古代ローマの占領後、ジュート人の侵入を受けたが、661年ウェセックス王国に併合、1293年よりイギリス王領。

[小池一之]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

今日のキーワード

部分連合

与野党が協議して、政策ごとに野党が特定の法案成立などで協力すること。パーシャル連合。[補説]閣僚は出さないが与党としてふるまう閣外協力より、与党への協力度は低い。...

部分連合の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android