ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「一条教房」の意味・わかりやすい解説
一条教房
いちじょうのりふさ
[没]文明12(1480).10.5. 土佐
室町時代の貴族。父は一条兼良,母は中御門宣俊の娘。従一位,関白となったが,寛正4 (1463) 年これを辞し,応仁1 (1467) 年8月戦乱を避けて奈良に下り,翌 2年9月,和泉堺から土佐国幡多の家領回復のため下向。長宗我部氏に推されて長岡郡岡豊 (おこう) におり,のち幡多郡中村に移り,土佐一条家の祖となった。京都の文化をここに移入したため,中村は土佐の中心地となり,文化開発の起点となった。教房の没後,土佐一条家は次男房家が継ぎ,のち兼定 (→一条兼定) まで続いた。
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