日本歴史地名大系 「七日町」の解説
七日町
なぬかまち
三の丸の大手門前を通る羽州街道の両側町を中心に東に広がる町で、北に続く
元禄一〇年(一六九七)の屋敷家数等覚(山形故実録)によれば、町の長さは横町境より旅籠町境まで三町、幅四間三尺、石橋四・土橋一。
七日町
なのかまち
七日町
なのかまち
- 新潟県:栃尾市
- 七日町
栃尾城下の根小屋町。大手門前の
延宝三年(一六七五)の屋敷改検地帳(富川家文書)では表間口四八間余で地子米は六斗余。
七日町
なぬかまち
球磨川を挟んで人吉城の北にある町人町の東端に位置し、東は
寛政元年(一七八九)の私領御巡見教令(相良家近世文書)によれば、「七日町壱町三拾間、道幅四間、下水道加へ、縦町四拾四間、道幅右同じ、合弐町拾四間、但屋敷数八拾五軒」とあり、借屋一四軒があった。
七日町
なぬかまち
七日町
なのかまち
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報