早川町の南部にあり、標高一九八二・四メートル。北東方、早川町と
日蓮宗の聖地となったのは文永一一年(一二七四)日蓮が身延山を開いたことによっており、同一二年二月一六日の日蓮書状(日蓮聖人遺文)は、富士川沿いの難路を行き、やがて身延山に至ったときの様子を「身延の嶺と申大山あり、東は天子の嶺、南は鷹取の嶺、西は七面の嶺」と記し、建治二年(一二七六)一二月九日の同書状(同遺文)には身延山の「西には七面と申山峨峨として白雪絶えす」とある。当山はまたナナイタガレともよばれ、各所に崩壊がみられる。とくに山頂東側斜面にはオオガレと称する大崩壊があり、現在も崩落が続く。ガレとは斜面の崩壊部をさす語句であり、またナナもイタも斜面や崖を意味する地形語であろう。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
山梨県南西部,富士川の谷の西方に位置する標高1989mの山。南巨摩(みなみこま)郡早川町にあり,山頂は身延(みのぶ)町の飛地となっている。東は糸魚川-静岡構造線に一致する春木川の谷によって限られ,谷を隔てて身延山に臨む。西は雨畑川の深い谷に下る。山名は,山頂付近の東斜面に〈なないたがれ〉と呼ばれる七つの崩崖があって七面(なないた)山と呼ばれたことによる。地形的には,身延山などを含む巨摩山地と同様に赤石山脈の前山山地の一つである。山頂部には,準平原のなごりをとどめる平たん地が発達する。ここは1297年(永仁5)日朗上人が開山した日蓮宗の霊地で,身延山久遠(くおん)寺の寺域となっており,敬慎院がある。
執筆者:平川 一臣
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…西は雨畑川の深い谷に下る。山名は,山頂付近の東斜面に〈なないたがれ〉と呼ばれる七つの崩崖があって七面(なないた)山と呼ばれたことによる。地形的には,身延山などを含む巨摩山地と同様に赤石山脈の前山山地の一つである。…
…近代・現代において,久遠寺貫首は,ときに日蓮宗管長を兼ねることもあった。 久遠寺管理下に身延町の飛地的存在である七面山があり,身延山守護神七面大明神(七面天女)をまつる。もと周辺の水分(みくまり)信仰の対象であったと考えられるが,近世初頭にはすでに七面大明神宝殿が造営されている。…
…身延山の名称は,一般には山名よりも日蓮宗総本山身延山久遠寺,または日蓮宗法城の域内(北は身延山,南は鷹取山,東は寺平の峰,西は春木川に限られる範囲)を指す。また春木川を隔てた西方の早川町にある七面山(1982m)も,七面天女をまつった霊場で身延山の飛地的存在である。 久遠寺の本院は,身延山の南面中腹にあり,奥之院思親閣のある山頂までは本院脇からロープウェーが通じる。…
※「七面山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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