出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
明治~昭和初期の歴史学者、教育者。万延(まんえん)元年5月13日、紀伊(きい)国和歌山城下宇治で藩士三宅栄光(ひでみつ)の長子に生まれる。1872年(明治5)上京、慶応義塾に入学するも1875年諭旨退学。1876年新潟英語学校教員心得となり、1879年に帰京、1880年千葉師範学校・千葉中学校に赴任、那珂通世(なかみちよ)を知る。1881年東京師範学校(後の東京高等師範学校。東京文理科大学とともに東京教育大学を経て、現在の筑波(つくば)大学)に転じ、1886年辞職。同年『日本史学提要』第1編を刊行、また金港堂編輯(へんしゅう)所評議役・取締主務となり、教育出版事業視察のため洋行。1888年帰国し教育学術雑誌『文』を主宰、教育改革を論じた。1890年より東京高等師範に復帰、歴史教育の後進養成に尽力、1929年(昭和4)には東京文理科大学初代学長兼東京高師校長となり、同年(昭和4)11月11日死去。東京帝室博物館、日本考古学会などで実物の調査・研究と文献研究の融合を計った。遺著に『文学博士三宅米吉著述集』上下(1929)がある。
[松島榮一]
(田中正美)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
… 日本における科学的な考古学は,1877年,アメリカ人E.S.モースが大森貝塚の発掘を行ったときに始まるとされている。86年,坪井正五郎らは東京大学理学部を中心として東京人類学会を結成,95年,三宅米吉らが帝室博物館を中心として考古学会を結成,この二つの組織が明治期の日本考古学を推進した。当時は,石器時代と以後の時代の間に人種の交替があったと考えられており,日本の先住民族はアイヌか非アイヌかという問題をめぐって論争が交わされたが,資料操作の方法が未熟で問題の解決にいたらなかった。…
…日本に石器時代が存在したことは,P.F.vonシーボルトの《日本》(1832‐51)で初めて指摘された。明治時代には,石期,石属世期などの呼称もあったが,三宅米吉が石器時代とよんで(1894)以来この名が普及した。旧石器時代,新石器時代の名称も三宅に始まる。…
※「三宅米吉」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...
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