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三宅米吉 みやけよねきち

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

三宅米吉
みやけよねきち

[生]万延1(1860).5.13. 和歌山
[没]1929.11.11. 東京
歴史学者,教育家,文学博士。号は昭軒。東京高等師範学校校長,東京帝室博物館総長,東京文理科大学学長を歴任。また,考古学会 (現日本考古学会) を創立 (1895) 。学者として,歴史学,国語学,考古学,人類学,地理学など多方面に活躍するとともに,教育者としても教育の革新に一生を捧げた。

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デジタル大辞泉の解説

みやけ‐よねきち【三宅米吉】

[1860~1929]歴史学者・教育家。和歌山の生まれ。東京高等師範学校長・帝室博物館総長などを歴任。著「日本史学提要」「考古学研究」など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

三宅米吉 みやけ-よねきち

1860-1929 明治-昭和時代前期の歴史学者。
万延元年5月13日生まれ。千葉師範教師,金港堂編集長をへて明治28年高等師範教授。同年考古学会を創設,34年初代会長となった。大正9年東京高師校長,11年帝室博物館総長を兼任,昭和4年東京文理大初代学長。宮中顧問官。昭和4年11月11日死去。70歳。紀伊(きい)和歌山出身。慶応義塾中退。著作に「日本史学提要」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

三宅米吉

没年:昭和4.11.11(1929)
生年:万延1.5.13(1860.7.1)
明治大正期の歴史学者で日本考古学の開拓者。和歌山藩士三宅栄充,妻直子の長子。明治5(1872)年上京して慶応義塾に入学。同級に尾崎行雄,年長組に那珂通世がいた。共に三宅の生涯の親友。8年退学したのち独学自習し,13年千葉師範学校,次いで千葉中学校教師となり,白鳥庫吉,石井菊次郎らを教えた。19年『日本史学提要』第1編を公刊して国史学の科学的研究に新生面を開き,考古学方面の諸研究も含めて,日本史学史上画期的貢献をなす。28年高等師範学校教授となり,34年,同僚で東洋史の那珂通世らと共に文学博士。また28年考古学会を創設し,34年会長に就任。大正9(1920)年東京高等師範学校長に任じられ,11年帝室博物館総長を兼任,14年帝国学士院会員。昭和4(1929)年4月,東京文理科大学が開設され初代学長に就任したが,心臓麻痺で急逝。<著作>『日本史学提要』第1編,『考古学研究』『文学博士三宅米吉著述集』<参考文献>『三宅博士古稀祝賀会記念誌』『文学博士三宅米吉先生追悼録』

(田中正美)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

三宅米吉
みやけよねきち
(1860―1929)

明治~昭和初期の歴史学者、教育者。万延(まんえん)元年5月13日、紀伊(きい)国和歌山城下宇治で藩士三宅栄光(ひでみつ)の長子に生まれる。1872年(明治5)上京、慶応義塾に入学するも1875年諭旨退学。1876年新潟英語学校教員心得となり、1879年に帰京、1880年千葉師範学校・千葉中学校に赴任、那珂通世(なかみちよ)を知る。1881年東京師範学校(後の東京高等師範学校。東京文理科大学とともに東京教育大学を経て、現在の筑波(つくば)大学)に転じ、1886年辞職。同年『日本史学提要』第1編を刊行、また金港堂編輯(へんしゅう)所評議役・取締主務となり、教育出版事業視察のため洋行。1888年帰国し教育学術雑誌『文』を主宰、教育改革を論じた。1890年より東京高等師範に復帰、歴史教育の後進養成に尽力、1929年(昭和4)には東京文理科大学初代学長兼東京高師校長となり、同年(昭和4)11月11日死去。東京帝室博物館、日本考古学会などで実物の調査・研究と文献研究の融合を計った。遺著に『文学博士三宅米吉著述集』上下(1929)がある。[松島榮一]

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世界大百科事典内の三宅米吉の言及

【考古学】より

… 日本における科学的な考古学は,1877年,アメリカ人E.S.モース大森貝塚の発掘を行ったときに始まるとされている。86年,坪井正五郎らは東京大学理学部を中心として東京人類学会を結成,95年,三宅米吉らが帝室博物館を中心として考古学会を結成,この二つの組織が明治期の日本考古学を推進した。当時は,石器時代と以後の時代の間に人種の交替があったと考えられており,日本の先住民族はアイヌか非アイヌかという問題をめぐって論争が交わされたが,資料操作の方法が未熟で問題の解決にいたらなかった。…

【石器時代】より

…日本に石器時代が存在したことは,P.F.vonシーボルトの《日本》(1832‐51)で初めて指摘された。明治時代には,石期,石属世期などの呼称もあったが,三宅米吉が石器時代とよんで(1894)以来この名が普及した。旧石器時代,新石器時代の名称も三宅に始まる。…

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