日本歴史地名大系 「三崎峠」の解説 三崎峠みさきとうげ 秋田県:由利郡象潟町小砂川村三崎峠[現在地名]象潟町小砂川字三崎山小砂川(こさがわ)の南約四キロ、秋田・山形県境にある。元禄二年(一六八九)の曾良随行日記に「吹浦ヲ立、番所ヲ過ルト雨降出ル、一リ女鹿、是より難所、馬足不通、大師崎共、三崎共云」とある。享和二年(一八〇二)峠を通った伊能忠敬は、その難所ぶりを「測量日記」に記している。<資料は省略されています>郡境とされた大師(だいし)堂までは、小砂川村から七町、女鹿(めか)村(現山形県飽海郡遊佐町)から二七町あった(庄内御預所由利郡拾壱ケ村御案内帳)。三崎山は鳥海山の噴火によって流出した溶岩によって形成された岩山で、岩場を縫って慈覚大師開削と伝えられる道が通じる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「三崎峠」の意味・わかりやすい解説 三崎峠みさきとうげ 御崎峠とも書く。山形・秋田県境,日本海に突出する小岬にある峠。鳥海山 (2236m) の溶岩流が流出して形成されたところで海岸線は急崖をなす。古くは有耶無耶関 (うやむやのせき) がおかれたと伝えられ,出羽国を南北に結ぶ交通の要地であった。温暖で,県天然記念物指定のタブノキの原生林がある。戊辰戦争の古戦場として有名。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by