三条勘太郎(読み)さんじょう かんたろう

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「三条勘太郎」の解説

三条勘太郎(2代) さんじょう-かんたろう

1702-1763 江戸時代中期の歌舞伎役者
元禄(げんろく)15年生まれ。若衆方から若女方となり,享保(きょうほう)3年八百屋お七を演じて好評を博す。延享3年(1746)3代花井才三郎を襲名,のち花車方として江戸中村座の頭取をかねた。濡事(ぬれごと)の色女方を得意とした。宝暦13年4月3日死去。62歳。江戸出身。俳名は桃朝。

三条勘太郎(4代) さんじょう-かんたろう

?-? 江戸時代中期-後期の歌舞伎役者。
3代大谷広右衛門の子。安永の末ごろから江戸中村座に子役出演。天明4年(1784)同座で4代を襲名。若女方から敵役に転じた。初名は中村七次。後名は大谷国蔵,大谷広右衛門。

三条勘太郎(3代) さんじょう-かんたろう

?-1767 江戸時代中期の歌舞伎役者。
2代三条勘太郎の養子元文の末ごろから舞台に出演し,延享3年3代を襲名。若衆方と若女方をかねた。明和4年死去。前名は三条小勘,三条子三郎。

三条勘太郎(初代) さんじょう-かんたろう

?-? 江戸時代前期の歌舞伎役者。
寛文-延宝(1661-81)のころ江戸中村座で美貌(びぼう)の女方として活躍所作事(しょさごと),濡事(ぬれごと)をよくした。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

朝日日本歴史人物事典 「三条勘太郎」の解説

三条勘太郎(2代)

没年:宝暦13.4.3(1763.5.15)
生年:元禄15(1702)
江戸中期に,江戸で活躍した歌舞伎役者。俳名桃朝。享保3(1718)年に勤めた「七種福寿曾我」の八百屋お七が好評で「お七中興の祖」といわれる。美貌で濡れ事を得意とし,若女形の大立者となったが,延享3(1746)年,3代目花井才三郎を襲名し役柄が変わって以後人気が凋落した。

(今西晶子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

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