おおたに‐ひろえもん【大谷広右衛門】
- 初世。歌舞伎俳優。大谷家の祖。幼名、広吉。俳名、幡風。実悪にすぐれた芸を見せ、江戸敵役(かたきやく)の開祖といわれる。寛文六~享保六年(一六六六‐一七二一)
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大谷広右衛門(初代)
没年:享保6.2.19(1721.3.16)
生年:寛文6(1666)
元禄期の江戸の歌舞伎役者。俳名幡風。役者の百科事典『新刻役者綱目』(1771)に「大谷氏の最初にて江戸根生の敵役の開山」とある。広次,友右衛門など大谷姓を名乗る役者の系統の開祖に当たり,敵役という役柄の元祖とされる役者である。元禄初年から江戸の人気役者として活躍し,恐ろしいなかにもおかしみを混じえた演技を得意とした。2代目はその門弟で,「はなったらし」の異名から窺えるように,これも滑稽味のある敵役として人気があった。以後,広右衛門の名は明治までに6代を数えるが,いずれも敵役の役者である。<参考文献>『日本庶民文化史料集成』6巻
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大谷広右衛門(初代) おおたに-ひろえもん
1666-1721 江戸時代前期-中期の歌舞伎役者。
寛文6年生まれ。天和(てんな)のころ江戸の舞台をつとめ,元禄(げんろく)中ごろには敵役の名優として大立者にすすみ,江戸敵役の祖といわれた。「当世小国歌舞伎」の仁木入道などで好評を得,以後代々敵役の役者として知られた。享保(きょうほう)6年2月19日死去。56歳。幼名は広吉。俳名は幡風。
大谷広右衛門(3代) おおたに-ひろえもん
1726-1790 江戸時代中期の歌舞伎役者。
享保(きょうほう)11年生まれ。2代大谷広次の門にはいり,寛延のころから敵役をつとめ,宝暦12年江戸中村座で3代を襲名。のち実悪の立者として江戸三座に出演し,天明4年から中村座の頭取をかねた。寛政2年9月14日死去。65歳。初名は大谷国蔵。俳名は十洲。屋号は駿河屋(するがや)。
大谷広右衛門(2代) おおたに-ひろえもん
?-1748* 江戸時代中期の歌舞伎役者。
初代広右衛門の高弟で,享保(きょうほう)元年に江戸中村座で敵役として出演し,好評をえる。17年森田座の「猛勢(いきおい)権五郎景政」の鳥海弥三郎を演じてみとめられた。延享2年2代を襲名。延享4年12月25日死去。初名は大谷琴助。前名は大谷竜左衛門(初代)。
大谷広右衛門(5代) おおたに-ひろえもん
1804-1855 江戸時代後期の歌舞伎役者。
文化元年生まれ。3代大谷友右衛門の門弟となって大坂で修業し,天保(てんぽう)10年江戸市村座で演じる。嘉永(かえい)元年5代を襲名。実悪を得意とした。安政2年9月13日死去。52歳。初名は大谷万六。前名は大谷大作,大谷万作(2代)。俳名は馬丈。屋号は明石屋。
大谷広右衛門(4代) おおたに-ひろえもん
1791-1840 江戸時代後期の歌舞伎役者。
寛政3年生まれ。3代坂東三津五郎の門弟となり,坂東大五郎と称した。文化11年江戸市村座で4代大谷広右衛門を襲名。文政5年4代坂田半五郎をついだ。立役(たちやく)から実悪に役替えした。天保(てんぽう)11年7月18日死去。50歳。俳名は杉暁。屋号は正月屋。
大谷広右衛門(6代) おおたに-ひろえもん
?-? 明治時代の歌舞伎役者。
明治2年(1869)大谷広五郎が大阪で6代を襲名。関西の舞台にたつが,その後の消息は不明。
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