コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

三浦新七 みうらしんしち

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

三浦新七
みうらしんしち

[生]1877.6.12. 山形
[没]1947.8.14. 東京
文化史家。法学博士。 1901年東京高等商業学校卒業。 11年同校教授。 20年東京商科大学教授,32年貴族院議員,35年同大学学長,41年帝国学士院会員。ドイツ精神史学専攻。 K.ランプレヒト流の方法で諸国民の文化の特色をとらえ,日本,東洋の比較文明史の開拓に努めた。主著『東西文明史論考』。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について | 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

三浦新七 みうら-しんしち

1877-1947 大正-昭和時代の歴史学者。
明治10年8月12日生まれ。高等商業(現一橋大)を卒業,ドイツで比較文化史をまなぶ。母校の教授をへて,大正9年改組により東京商大教授となり,文明史講座をひらいた。昭和10年学長。この間家業の両羽銀行(現山形銀行)頭取もつとめた。貴族院議員。昭和22年8月14日死去。71歳。山形県出身。論文集に「東西文明史論考」。

出典|講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて | 情報 凡例

朝日日本歴史人物事典の解説

三浦新七

没年:昭和22.8.14(1947)
生年明治10.8.12(1877)
歴史家山形市に生まれ,東京高等商業学校(一橋大)専攻部を卒業後,同校教官となり,明治36(1903)年から大正1(1912)年までドイツに留学。その間ライプチヒ大学においてカール・ランプレヒト教授に師事,各国国民性の摘出に基づく比較文明史の方法をうちたて,古典古代より近世に至る壮大なヨーロッパ史の構想を発表した。帰国後は山形に帰って両羽銀行頭取に就任,そのかたわら郷土研究会の会長として多くの郷土史研究者を育成。昭和10(1935)年東京商科大学長に迎えられ,翌11年同大学名誉教授となる。退官後はもっぱら西洋との比較の観点から東洋,特に中国古代史の研究に没頭した。『東西文明史論考』(1950)は既発表の論文集。膨大な量の未発表遺稿は一橋大学付属図書館に蔵されている。

(増田四郎)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について | 情報

世界大百科事典 第2版の解説

みうらしんしち【三浦新七】

1877‐1947(明治10‐昭和22)
歴史家。山形市に生まれ,東京高等商業学校専攻部を卒業,同校教官となり,1903年より12年までドイツに留学,その間ライプチヒ大学においてK.ランプレヒトに師事,各国国民性に基づく比較文化史を研究・習得した。帰国後,一時山形に帰って家業の銀行業に携わったが,35年東京商科大学長に迎えられ,翌36年辞して同大学名誉教授となる。退官後はもっぱら西洋との比較における東洋文化史の研究に専念した。《東西文明史論考》(1950)はその主要な論集である。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

三浦新七の関連キーワード昭和時代上原專祿増田四郎没年

今日のキーワード

分水嶺

1 分水界になっている山稜(さんりょう)。分水山脈。2 《1が、雨水が異なる水系に分かれる場所であることから》物事の方向性が決まる分かれ目のたとえ。...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android