日本大百科全書(ニッポニカ) 「三軒長屋」の意味・わかりやすい解説
三軒長屋
さんげんながや
落語。中国の小咄(こばなし)の翻案で、『笑府(しょうふ)』の「好静」が原話。1826年(文政9)の噺本(はなしぼん)『腮(あご)の懸鎖(かきがね)』にも同種の話がある。江戸時代から口演されたもので、別名『楠運平(くすのきうんぺい)』。棟続きの3軒の家があり、質屋の隠居伊勢屋勘右衛門(いせやかんえもん)の妾(めかけ)を真ん中に、両端に鳶頭(とびがしら)の政五郎と剣術の先生楠運平正国が住んでいた。政五郎の家では若い者の喧嘩(けんか)騒ぎが絶えず、道場では荒っぽい稽古(けいこ)が遅くまで続き、そのやかましさに妾は悲鳴をあげ、旦那(だんな)に引っ越しをせがむので、伊勢勘は「ここは家質(かじち)にとってあるから、そのうち両隣を立ち退(の)かせる」となだめる。それを知った政五郎は楠先生と相談。まず楠が移転することになったが、その費用捻出(ねんしゅつ)のため3日間の千本試合をするといって脅し、次に政五郎もやはり引っ越しのため花会を開きたいといって、それぞれ伊勢勘から金をせしめる。「おい頭(かしら)、2人とも明日(あす)の朝には引っ越すというが、いったいどこへ越すんだ」「あっしが先生のとこへ行き、先生があっしのうちへ越します」。登場人物が多く、変化に富む江戸落語のなかでも大物の一つで、演者にとっては難物であるが、落語のおもしろさが全体にあふれる傑作。5代目柳家小さんの十八番。
[関山和夫]