上杉鷹山(読み)ウエスギヨウザン

共同通信ニュース用語解説 「上杉鷹山」の解説

上杉鷹山(1751~1822)

上杉治憲うえすぎ・はるのり。鷹山は隠居後の号。江戸時代中期の大名。出羽米沢藩の第9代藩主で、名君として知られる。日向高鍋藩主、秋月種美あきづき・たねみつ次男として生まれたが、第8代米沢藩主の養子となり、1767年に藩主に。倹約を奨励し、農業開発や殖産興業政策などにより藩財政を改革した。名言「なせば成る なさねば成らぬ何事も 成らぬは人の成さぬなりけり」や、跡継ぎ治広はるひろにあたえた家訓「伝国の辞」は有名。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「上杉鷹山」の解説

上杉鷹山 うえすぎ-ようざん

1751-1822 江戸時代中期の大名。
寛延4年7月20日生まれ。秋月種美の次男。上杉重定の養子となり,明和4年出羽(でわ)米沢藩(山形県)藩主上杉家9代をつぐ。細井平洲に師事。竹俣当綱(たけのまた-まさつな),莅戸(のぞき)太華らを登用。倹約を奨励し,農村復興・殖産興業政策などにより藩財政を改革した。天明5年隠居。跡継ぎの治広にあたえた家訓「伝国之辞」は有名。文政5年3月12日死去。72歳。幼名は直松,直丸。名は治憲(はるのり)。
格言など】国家は,先祖より子孫へ伝え候国家にして,我(われ)私(わたくし)すべき物には是なく候(「伝国之辞」)

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百科事典マイペディア 「上杉鷹山」の意味・わかりやすい解説

上杉鷹山【うえすぎようざん】

上杉治憲

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世界大百科事典(旧版)内の上杉鷹山の言及

【上杉治憲】より

…第10代米沢藩主。江戸時代の名君の一人。幼名松三郎,元服して治憲,のち鷹山(ようざん)と号した。日向高鍋藩主秋月種美の次男として江戸に生まれ,上杉重定の養嗣子となる。1767年(明和4)17歳で米沢藩主となった。治憲襲封以前の米沢藩政は動揺が激しく,宝暦年間(1751‐64),森平右衛門が郡代として藩政の実権をにぎったが,新政半ばにして菁莪社中のクーデタによって暗殺され,治憲の藩主就任とともに,奉行竹俣当綱(まさつな)を中心とする藩政改革が開始された。…

【藩政改革】より

…幕藩体制のもとで,個別領有の側面をもつが実施した政治的改革。幕藩体制社会を,太閤検地の施行を史的前提として,単婚小家族の小百姓を土地に緊縛し,これを身分制的に支配する封建社会と規定するとき,そこでの農政の基調は,小百姓の自立あるいは分裂による創出であり,維持であった。そして,そこでは領主の封建的大土地所有と小百姓の零細錯圃の占有とが対峙する関係にたっていた。江戸幕府は1643年(寛永20)3月に,田畑永代売買禁止令を出しているが,後者の占有内部に〈身上(しんしよう)能(よ)き〉百姓=〈徳人(とくにん)〉の輩出と極貧の小百姓経営の成立という分解をおそれてのことであった。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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