国指定史跡ガイド 「上淀廃寺跡」の解説
かみよどはいじあと【上淀廃寺跡】
鳥取県米子市淀江町にある7世紀後半の古代寺院跡。寺域は大山(だいせん)北西麓の日本海に臨む丘陵の南側斜面の水田地で、古くから古瓦が出土することから、古代寺院の存在が推定されていた。1991年(平成3)からの発掘調査で、法隆寺金堂壁画と並ぶ白鳳(はくほう)文化期の彩色壁画片が多数出土して注目を浴びた。1996年(平成8)に国指定史跡になり、2005年(平成17)に追加指定があった。伽藍(がらん)配置は、金堂の東側に3基の塔を南北に配置するという、他に類例のない特異なものである。金堂と塔は斜面を整地して建てられ、その周辺に関連施設が配置されていた。金堂も塔も二重基壇で、基壇上に礎石抜き取り穴や礎石の根石を残しており、塔は初層が3間×3間の建物であったことがわかる。講堂は農地造成によって場所が不明。伽監中枢部は約55m四方、寺域の規模は南北約90mであったと推定されている。金堂と中央および南の塔付近には瓦類や壁体、塑像、土器などの混じる焼土層があり、10世紀代に火災によって伽藍が焼失したことが知られる。瓦の中に「癸未年」と刻まれたものがあり、683年(天武天皇12)前後に建立されたとみられている。金堂跡付近から出土した朱や緑青(ろくしょう)など多彩な色彩を使った壁画片には、菩薩像頭部や甲冑(かっちゅう)をつけた神将像の上半身、樹木や山などが描かれ、百済(くだら)の影響の色濃い説法図、ないしは変相図と推定される。また、塑像片も発見されており、丈六如来像、菩薩像、神将像の一部が確認されている。これらは金堂の三尊仏とその周囲の四天王と考えられる。出土した壁画片や塑像片などは近くの上淀白鳳の丘展示館に展示され、金堂内部や仏像、壁画が復元されている。JR山陰本線淀江駅から徒歩約20分。