下中島村(読み)しもなかしまむら

日本歴史地名大系 「下中島村」の解説

下中島村
しもなかしまむら

[現在地名]姫路市飾磨区中島しかまくなかしま飾磨区三和町しかまくさんわちよう

飾東しきとう郡に所属。野田のだ川河口部左岸からいち川河口部右岸にかけての播磨灘沿岸に位置する。北は下野田村、西は野田川河口部の入江を隔てて飾万しかま津。文禄三年(一五九四)一〇月一七日の入部御用銭割付状(芥田文書)に「高四百八拾壱石六斗四升 下中しま村」、同年の飾東郡蔵入目録(同文書)では「下中嶋」と記される。慶長国絵図に「下中嶋村」とみえる。江戸時代を通して姫路藩領。正保郷帳では田方五八六石余・畠方五三石余。


下中島村
しもなかじまむら

[現在地名]浜松市下江町しもえちよう

下前島しもまえじま村の北に位置し、北は四本松しほんまつ村、北東立野たての村。史料にはたんに中島村ともみえる。延宝(一六七三―八一)頃の青山氏領分絵図には、当村と立野村の間に二筋の堤防が描かれている。下中島村に対する上中島村敷知ふち郡域にあり、村の成立に特別の関連性は考えられない。天正一九年(一五九一)一一月二〇日の四拾七村惣高辻書上(横山家文書)に中島とみえ、高一二四石余。松平忠頼領郷村帳では中島村として高一〇七石余、田四町一反余・畑八町五反余、うち川成四〇石余と多い。


下中島村
しもなかじまむら

[現在地名]朝日村下中島

鷹取たかとり山の東麓に位置し、東方で高根たかね川と三面みおもて川が合流し西南へ流れる。北東は鵜渡路うのとろ村、南は宮下みやのした村に接する。かつては高根川と三面川に挟まれた川中島集落があったという。文禄(一五九二―九六)頃の瀬波郡絵図には「大国但馬分下中嶋村 下」とみえ、本納二五石四升・縄高六九石二斗三升六合、家三軒とあり、川の合流点右岸に描かれる。


下中島村
しもなかじまむら

[現在地名]鶴岡市中橋なかはし 下中島

折橋おりはし村の西にある。元和八年(一六二二)の酒井氏知行目録には南の上中島村と一括されて上下中島村とあり、高六四二石余。寛永元年庄内高辻帳に村名がみえ、高二七五石余。正保郷帳では上中島村に含まれる。弍郡詳記では高二七五石余、うち畑高一〇石余、免六ツ二分、家数一〇。明治九年(一八七六)折橋村などと合併中橋村となる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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