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下村湖人 しもむら こじん

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美術人名辞典の解説

下村湖人

小説家・教育家。佐賀県生。名は虎六郎、筆名は内田多聞。東京帝大文科卒業後、教育界で活躍、台湾の台北高校校長として令名を馳せた。辞職後は大日本青年団講習所所長として社会教育に尽力する傍著述生活に入り、自伝的教養小説次郎物語」を発表、好評を得た。他に多数の随筆・教育論書がある。昭和30年(1955)歿、70才。

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デジタル大辞泉の解説

しもむら‐こじん【下村湖人】

[1884~1955]小説家・教育家。佐賀の生まれ。本名、虎六郎(ころくろう)。教職を経て著述生活に入る。自伝的教養小説「次郎物語」で知られる。

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百科事典マイペディアの解説

下村湖人【しもむらこじん】

小説家,教育家。佐賀県生れ。本名虎六郎。東大英文科卒。大学時代に《帝国文学》の編集に携わった。卒業後は教育界に入り,故郷佐賀の中学教師,校長を歴任,さらに台北高校の校長を務める。
→関連項目清水宏次郎物語

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

下村湖人 しもむら-こじん

1884-1955 大正-昭和時代の教育者,小説家。
明治17年10月3日生まれ。郷里佐賀県の中学の英語教師,校長をへて,昭和4年台北高等学校校長。8年大日本連合青年団講習所長。11年から自伝的小説「次郎物語」を執筆,作家生活にはいる。昭和30年4月20日死去。70歳。東京帝大卒。旧姓は内田。本名は虎六郎(ころくろう)。著作はほかに「隣人」「田沢義鋪(よしはる)」など。
【格言など】何につけても「しかたがない」という人間ほどしかたのない人間はない

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世界大百科事典 第2版の解説

しもむらこじん【下村湖人】

1884‐1955(明治17‐昭和30)
教育者,小説家。本名虎六郎。佐賀県神埼郡生まれる。東京帝国大学英文科を卒業後,佐賀県下の中学校の教諭,校長などを経て台北高校長。1931年退職し上京,五高時代の旧友田沢義鋪を助けて社会教育に従事。33年から大日本連合青年団講習所長。かたわら,その機関誌《青年》に自伝的教養小説《次郎物語》を発表しはじめる(1954年第5部完結)。37年辞任後は小説,詩,評論などもっぱら著述を通じて,修養論,人生論に関心を抱く青少年に影響をあたえつづけた。

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大辞林 第三版の解説

しもむらこじん【下村湖人】

1884~1955) 教育家・小説家。佐賀県生まれ。本名、虎六郎。中学校校長を経て社会教育に尽力。自伝的な成長小説「次郎物語」は、その理想主義と自由主義的教育思想により多くの読者を得た。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

下村湖人
しもむらこじん

[生]1884.10.3. 佐賀,千歳
[没]1955.4.20. 東京
小説家,教育家。本名,虎六郎。 1909年東京大学英文科卒業。教職につき,台北高等学校校長を最後に上京 (1931) ,大日本連合青年団講習所所長として活躍 (33~37) 。幼時の体験を教育者的信念で綴った『次郎物語』 (36~37) の成功により作家生活に入り,同第2部 (38) から第5部 (54) までを出版したが,第6部執筆直前に死去。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

下村湖人
しもむらこじん
(1884―1955)

小説家、教育家。佐賀県の生まれ。本名虎六郎(ころくろう)。旧姓は内田、のち下村家の養子となる。佐賀中学時代から文学に志し、第五高等学校を経て東京帝国大学英文科卒業。新進詩人として注目されたが、実家・養家の没落のため教育界に進み、24年間、旧制中学・高等学校の教職にあった。その後は友人田沢義鋪(よしはる)(1885―1944)を助けて青少年の指導にあたり、1933年(昭和8)大日本連合青年団講習所所長となり、その機関誌に『次郎物語』第1部を連載。これが好評だったので『魂は歩む』(1936)、『若き建設者』(1944)などを執筆、青少年向きの教養小説として高く評価されている。ほかに随想集『教育的反省』(1934)、『心窓記』(1943)、伝記『田沢義鋪』(1954)などがある。[上笙一郎]
『『下村湖人全集』全10巻(1975~1976・国土社) ▽永杉喜輔著『下村湖人』(1964・講談社)』

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世界大百科事典内の下村湖人の言及

【千代田[町]】より

…高志神社では毎年10月の例祭に鷺流狂言(高志狂言)が行われる。下村湖人の生家がある。【松橋 公治】。…

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