田沢義鋪(読み)たざわよしはる

改訂新版 世界大百科事典 「田沢義鋪」の意味・わかりやすい解説

田沢義鋪 (たざわよしはる)
生没年:1885-1944(明治18-昭和19)

青年団運動の中核的指導者。佐賀県出身。1909年東京帝大法科卒業後内務省に入り,翌年静岡県安倍郡郡長として赴任した。ここで地方自治振興をめざして青年団の指導にあたる一方,蓮沼門三の修養団にも共鳴し,以後〈道義国家〉建設のために青年団運動の指導に情熱を燃やした。明治神宮造営局書記官,神社局第一局長を経て,20年労使協調の立場をとる協調会常務理事に転身し,労働者教育に努める。24年自宅に新政社を創立し,雑誌《新政》を創刊。同年東京市助役となる。25年には新日本同盟を結成し,後藤文夫らと政治教育運動を行った。29年に壮年団期成同盟結成,33年には貴族院勅選議員になった。この間,1925年の大日本連合青年団の結成から一貫して常任理事として青年の指導を行っており,34年には理事長に就任した。既成政党に批判的で,選挙粛正運動にも協力したが,翼賛政治会には入会しなかった。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「田沢義鋪」の意味・わかりやすい解説

田沢義鋪
たざわよしはる

[生]1885.7.20. 佐賀
[没]1944.11.24.
教育家。第2次世界大戦前の青年団運動の代表的指導者。日本の「青年団の父」と呼ばれる。 1909年東京大学卒業後,内務官僚などを経て,勅撰貴族院議員となる。理想主義的な道義国家の建設を目指し,選挙粛正運動や公民教育普及発展に努め,また,青年団を郷土における青年の自治的な共同生活・訓練修養の場として「一人一研究」を提唱,青年団運動,青年教育に精力を注いだ。大日本連合青年団理事,日本青年館理事などの要職を兼任した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田沢義鋪」の解説

田沢義鋪 たざわ-よしはる

1885-1944 明治-昭和時代前期の官僚,青年団運動指導者。
明治18年7月20日生まれ。内務省にはいり静岡県安倍郡長,明治神宮造営局総務課長などを歴任して青年団の育成尽力。のち大日本連合青年団理事長となる。協調会常務理事などもつとめた。昭和19年11月24日死去。60歳。佐賀県出身。東京帝大卒。

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世界大百科事典(旧版)内の田沢義鋪の言及

【修養団】より

…第1次大戦後,キャンプ講習会などにより地域青年運動と結合,勢力を伸ばした。渋沢栄一などの財界名士や青年団運動の田沢義鋪,司法界の大立者平沼騏一郎などの庇護と支持を得,昭和期に入ってからは内務・文部両省の外郭団体となった。さらに官業・民間の工場・鉱山に支部を設け,労資協調を説く教化事業や国民精神総動員運動に力を注ぎ,敗戦時には1700支部,620万の団員を擁したといわれる。…

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